貧窮スターゲイザー始末…晩年の草場修
2018-11-10


ブログを放置して、早ふたつき、みつき。
自身が訪れることもまれになったある日、ふと管理画面に分け入ると、そこに驚くべきコメントが書き込まれているのに気づきました。これはぜひとも周知せねばなりませんので、遅ればせながら、一本記事をまとめることにします。

HN「放物線彗星」さんからお寄せいただいた、その驚くべき情報とは、かつて集中的に取り上げたこともある、草場修という数奇な天文家の事績に関わるものです。

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草場は1900年頃、大分県の生まれ。放浪の末流れ着いた大阪で、どぶさらいの日雇い人夫として暮らす中、独学で星図づくりを学び、その才を京大教授の山本一清に見出され、彼の推挙によって京大に職を得たという、一種のシンデレラボーイです。

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(画像再掲。昭和9年(1934)当時の新聞に登場した、法被姿の草場)

貧窮にあえいだ日雇い人夫と天文学の取り合わせも奇抜だし、さらに草場には耳が聞こえないというハンデがあったので、当時のマスコミはこれを一種の「美談」として報じ、一時は世間の注目を大いに集めたのでした。

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ここで資料的な意味から、過去の草場記事の一覧をまとめておきます。
まず、私自身が草場という人物に惹きつけられ、その正体を追った一連の記事があります。

■「貧窮スターゲイザー、草場修」
(1)[URL]
(2)[URL]
(3)[URL]
(4)[URL]
(5)[URL]
(6)[URL]

さらにその補遺として、草場が作った星図についてメモ書きしたのが以下です。

■「草場星図を紙碑にとどめん」
[URL]

そして、上記の一連の記事から3年後、コメント欄で「烏有嶺」さんに教えていただいた、雑誌のインタビュー記事(昭和10年「婦人之友」誌)を元に、草場の生い立ちを補足したのが、以下の続編です。

■「貧窮スターゲイザー、草場修」
(7)[URL]
(8)[URL]
(9)[URL]

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[天文趣味史]

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