今日の記事のおまけ。
同じ人間が書いているので当たり前ですが、自分の書いていることは、ちょっとカッコよくいえば変奏曲、有体にいえば十年一日、なんだかずっと同じことを言ってる気がします。今回そう思ったのは、以下の過去記事に目が留まったからです。
■無限の時、夢幻の出会い
13年前の自分は、ある男女の切ないストーリーに触発されて、「たとえ3日が60年に伸びても、別れの苦しみは変わらないし、反対に60年分の思いを3日間に詰め込むことだってできないわけではない」と書きました。さらに虫たちの生と死に「ヒトの有限性に根ざす、心の中の「根源的寂しさ」」を感じ、「永遠は一瞬であり、一瞬は永遠である」と、もっともらしく他人の褌を借りています。
まあ、表現の細部は違えど、今日の記事で言いたかったことは、13年前の自分もしんみり感じていたことです。「成長がないなあ…」と思いますが、しかし「ヒトの有限性」は私にとってこの13年間でいっそう切実なものとなったし、話の力点も男女の機微から寂滅為楽へと移ったことを思えば、やっぱりそこに幾分「成長」もあるわけです。
我ながら頼もしいような、心配なような。
いずれにしても13年という歳月は、面貌ばかりでなく、心にもしわを刻むのに十分な時間です。
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