(昨日のおまけ)
近代的な天気予報は天気図を元に行われるものなので、ことの順序として天気図が先、天気予報が後ということになります。
(1910年9月3日の欧州天気図)
日本の場合、最初の天気図は1883年(明治16年)2月に作られましたが、最初の天気予報のほうは1年遅れの1884年(明治17年)の6月1日から始まっています。(この日は、気象庁の前身、東京気象台がオープンした日でもあり、6月1日は気象記念日になっています。今年は気象庁開設140年&天気予報スタート140年の節目の年です。)
その1884年6月1日の「天気予報 第1号」は、「全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ但シ雨天勝チ」という、日本全国の天気を一文で表現したもので、あまりにもふわっとしていることから、時に笑いのネタになったりもします。
でも、【参考】に掲げた渡辺氏の論文によれば、1880年代は、まだ欧米でも天気予報は技術的発展途上にあり、海運上の必要性が高かった暴風警報こそ実用域に入りつつあったものの、晴雨予報の方は前途遼遠でしたから、これはあまり責められないと思います。(「天気予報は当たらないもの」というのは、明治に限らず、戦後も長く言われ続けてきたことで、河豚の毒よけのまじないに、「気象庁、気象庁」と唱える…なんていう話もありました。)
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さて、昨日の『気象略報』は、まさに天気予報が始まった年のデータを収めた本なので、問題の6月以降、その「警報及予報ノ適否」も掲げています。いわば気象台の自己採点結果です。
その6月の項を見てみます。
当時は1日3回天気予報を発表していたので、6月1か月間で延べ90回の予報が出されました。その適否について述べたのが以下。
予報九十回ノ中
風 正中 偏中 不中
七五 一三 二
天気 七六 一三 一
右偏中ノ数ヲ折半シ正中不中ニ各一半ヲ加ヘ
以テ適否ノ百分比例ヲ得乃チ左ノ如シ
風 八七
天気 八五
平均 八六
正中とは「予報的中」、偏中は「部分的中」、不中は「予報失敗」のことでしょう。
理解の便のために対応する英語の方も挙げておきます。
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