昨日の記事を書いてから、しばし考えました。
昨日登場したような「中世チックな天文趣味」は、なぜ現代人の心を引き付けるのか?
(「History of Astronomy」の直近1年間のトップツイートより。画像出典は大英図書館。
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単純に考えれば、その主因は「いわゆる中世ロマン」なのでしょう。
すなわち、騎士や、お姫様や、魔法使いが活躍する、RPG的な冒険譚に彩られた中世ロマンの香り―これは19世紀に流行した中世趣味の直系の子孫でもあります―が、退屈な日常からの逃避を与えてくれるからだ…というわけです。
しかし、「いわゆる中世ロマン」の内実は、なかなか複雑です。
例えば、星にまつわる中世ロマンといえば、天文学と占星術が混淆した時代の、妖しくもマジカルな匂いが肝でしょうが、この点はよくよく吟味が必要です。なぜなら、中世における占星術の流行は、むしろ中世という時代を否定するものであり、新時代への曙光に他ならないからです。ですから、それを「中世ロマン」の語でくくると、ちょっとおかしなことになります。
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ヨーロッパにおける「中世的世界」とは、「キリスト教的世界」とほぼ同義でしょう。
教科書風にいえば、中世はキリスト教という単一の世界観・価値観が世を覆った時代で、一方には封建諸侯を上回る絶対的な権力を誇る教会が、他方には抑圧された個人がいました。
しかし、中世後期になって、この強固な世界に徐々にひびが入ります。
そのひびの一つが占星術に他なりません。12星座にしても、神格化された惑星にしても、キリスト教の正当教義からすれば明らかに異教的要素であり、教会権威にとって不穏なものをはらんでいました。占星術の側からすれば、自らの学問体系は、観察と思索に裏打ちされた立派な経験科学であり、一途な宗教的信念を蒙昧視する傾向が無きにしも非ず。したがって、両者の間には常に緊張関係があったのです。(と言っても、当時の占星術研究者は、たいてい学僧であり、自ら教会に属していましたから、その緊張関係の在り様も単純ではありません。)
いずれにしても、いわゆる12世紀ルネサンスを迎えるころ、イスラム圏を経由して、古代のギリシャ・ローマの学問がヨーロッパ世界に流入し、本格的なルネサンスが開花する下準備が整いつつありました。もちろん占星術もギリシャ・ローマから吹き寄せる風の一つであり、各地に大学が生まれたのもこの時期です。
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「中世チックな天文趣味」が美しく、ロマンに富んでいるのは、宗教的圧力を撥ねのけるまでに、中世後期のヨーロッパ人の「星ごころ」が沸騰していたからではないでしょうか。そこには古さと同時に清新さがあり、それが我々の心を打つのだ…というのは、定説でも何でもない、個人的感想にすぎませんけれど、私なりにぼんやり考えたことです。
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