(今日は2連投です。前の記事も併せてお読みください。)
(MAP 6:「私」の夜の散歩道)
上の地図で、<中山手三丁目>から県庁前の<下山手四丁目>にいたるまで、市電が斜めに街区を横切っているのは、いったいどういうわけか、不思議に思われないでしょうか? 私も最初訳が分かりませんでした。
しかし、よく話を聞いてみると、この市電路線(山手上沢線)が開通したのは、大正10年(1921)8月のことで、それに合わせて道筋の付け替えが行われたのだそうです。この地図の発行準備段階では、まだその詳細が不明だったため、とりあえず旧来の地図に、予定経路だけ朱線で刷り込んだのでしょう。
(現代の地図。画面中央下、「兵庫県公館」が旧県庁舎の位置)
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市電開通とともに、この付近は急速に街並が整備されました。
下の絵葉書は、当時のこのエリアを写したもので、疾駆する自動車とモダンなボギー電車が、タルホ的世界を彷彿とさせます。
(夕映えの神戸山手通り。昭和初年の絵葉書。正面は東方の布引〜摩耶山系。人工的に着色しているので、東に夕日が沈むような、変な具合になっています。)
左手前は第一神戸高等女学校。落成は大正13年(1924)。
その奥の塔のある建物は、兵庫県県会議事堂。
さらに奥の、茶色く塗られた建物は、兵庫県試験場です。
また道路をはさんで右手にそびえる教会は神戸栄光教会で、これら3つの建物は、いずれも大正11年(1922)に完成しました。そして、この北側(画面左手外)には、前述のとおり山手小学校のモダンな校舎が大正10年(1921)に完成しています。
「星を売る店」の成立にとって、上記各年代には大きな意味がありそうです。
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足穂は大正10年(1921)に上京し、佐藤春夫の弟子として作家デビューしました。その後、大正12年(1923)に、兵役の観閲点呼のため明石に一時帰省し、そこで「星を売る店」を書いたのですが、執筆に先立って、彼は当然なつかしい神戸の町を歩き回ったことでしょう。
しかし、彼はそこに「自分の知らない神戸」を見出します。
山手を往くボギー電車、
見慣れぬ大通り、
明治の洋館とは違った表情のモダン建築の数々…
足穂は小説の主人公と同様、そこに夢幻的な、表現派の舞台めいたものを感じ取ったに違いありません。
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