昔の神戸と今の神戸。
この点について、昨日寝床の中で、さらに自分なりに考えてみました。
もちろん今も「街の骨格」は残っています。
地形は変えようがありませんし、町割りだって大きな変化はありません。
町の顔である、古い建物もいくつも残っています。
異人館の並ぶ小道を歩けば、そこには「あの」神戸が今も健在のように思えます。
しかし、です。
もはや異人館に「異人さん」はいませんし、かつて異人さんたちを取り巻いていたモノや文化は、大方消えたとおぼしく、当時の闊達な「阪神間モダニズム」を下支えした経済基盤も、ずいぶんと様変わりしたようです。
この辺のことは、一寸大げさに言うと、ローマに喩えると分かり易いかもしれません。
ローマは今でも都市として繁栄を続け、豊かな文化を育み、街のあちこちに古代ローマの遺跡が残っています。しかし、古代ローマと現代ローマ、これら二つの都市を動かしている論理やシステムは全く別のものです。二つの都市は同じ空間を共有しているものの、基本的に別の都市と考えた方がすっきりします。
戦前の神戸と現代の神戸も、ちょうどそんな関係にあるとは言えないでしょうか。
とは言え、古典に親しみ、ローマの詩人を崇拝する人が、ローマを訪問せずにはおれないように、タルホの描く神戸に憧れる人は、神戸へと自ずと足が向くはずです。何と言っても、そこは依然として「あの世界」に一番近い場所であり、その入口であることは間違いないのですから。
(「神戸のことを何も知らない」と書いたそばから、エライ神戸通ぶってるじゃないの…と自分でも思いますが、まあ、よそ者の無責任な感想と思って、お聞き捨てください。)
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