「リアル」な自然とは…GW雑感
2015-05-03


今日は憲法記念日。
憲法をめぐっては、従来からやれ改憲だ、護憲だと議論があり、最近は「加憲」という妙な言葉も耳にします。

憲法というと、私は昔社会科で習った「あたらしい憲法のはなし」というのを懐かしく思い出します。これは昭和22年(1947)、まだ焦土の広がる中、文部省が出した子供向けの新憲法解説書です。その全文を青空文庫で読めることを先ほど知って、生まれて初めて、その全文を読んでみたんですが、何と言いますか、本当に時代というのは変るものだなあ…と痛切に感じました。
[URL]

   ★

ここしばらくは、例のタルホ関係の計画で脳内が満たされていて、なかなか文章を綴るどころの段ではありませんでした。しかし、この辺でちょっと一服して記事を書きます。

先日、ジャネット・マーシュの水辺の絵日記』の記事にコメントをいただき、個人的な自然体験のことが、ちょっと話題になりました。蛍以下さんからは、1980年代に遊びの世界が激変して、子供たちがピコピコしたゲーム類に一気に呑み込まれていったことを告げられ、確かにと思いました。

そして1990年の湾岸戦争の際には、「戦争の映像がまるでゲームにそっくりだ!」、「いや、その言い方は倒錯している。ゲームの方が実際の戦争にそっくりと言うべきだ」…というような議論があって、リアルとヴァーチャルの境界が不分明になったことを強く実感しました。

親たちは、子供が現実とゲームの区別が付かなくなることをおそれ、自然体験教室などもなかなか賑わったのでした。そうした流れは今も続いていると思います。

   ★

ヴァーチャルとリアルの関係。これは事新しい問題ではありません。

たとえば昔は文学がそうでした。
今は本を読むことが何となく良いこととされているので、ピンときませんが、明治・大正の頃は、息子や娘が文学書なんぞを読みふけっていると、親はずいぶん心配したものだそうです。柔弱で不健全なものというネガティブなイメージに加えて、文学の世界に沈潜すると、現実に不適応をきたすのではないかと憂えたわけです。後の映画やテレビもそうですね。

江戸の頃でも事情は同じです。
江戸後期の筆録『世事見聞録』には、「世の中が芝居の真似をするやうになれり」とあって、現実が歌舞伎の世界をなぞる世相を皮肉っていますが、これは江戸時代のこととはとても思えず、まるで今の世を諷しているようです。

   ★

ここから私の連想は突如飛躍するのですが、ヴァーチャルな世界というのは、そもそも言葉の世界自体がそうなのではないかと思います。

ヘレン・ケラーが言葉を獲得した瞬間。

続きを読む

[身辺雑記]
[その他]

コメント(全7件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット