鉱物、天体ときて、次のテーマは「音楽」です。
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今回の企画を始めるにあたって、賢治と足穂を対照的に述べました。
足穂のオブジェ好きに対して、賢治はそういう志向がスパッと欠落しているのではないかというふうに。
しかし、今回思いつきで取り上げたテーマを振り返ると、両者はやっぱり似た心根の持ち主のように思えます。たとえば、「鉱物」と「天体」が、両者に共通する趣味であることは言うまでもありません。そしてこの後で取り上げる「宗教」も、まあ「趣味」とは言いませんが、この2人が生涯かけて取り組んだテーマだとも言えるでしょう。
では「音楽」はどうか?ここで、足穂の「ムーヴィとフィルム」好きが、実は賢治の場合は「音楽とレコード」好きに対応するのだとすれば、結局両者の違いは驚くほど小さいとも言えます(※)。
イーハトーヴをトアロードに、動物たちを一癖ある人間に、軽便鉄道をヒコーキに置き換えれば、結局両者の“ファンタジー”は、ほとんど同じ構造を持っているのだ…と言ってしまうと、ちょっと強引過ぎるかもしれませんが、でも、その表層の違い以上に、両者は類似点が多いというのも、また確からしく思えます。
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ちょっと話が脱線しました。
賢治と音楽といえば、「セロ弾きのゴーシュ」の連想から、チェロを思い浮かべます。
「ゴーシュ」は、羅須地人協会時代(大正15年〜昭和4年/1926〜1929)に構想されたらしいですが(そして、その後晩年まで推敲を繰り返したようです)、賢治がチェロの修行に励んだのも、ちょうど同じ時期で、あの作品には彼の理想と現実が反映しているのでしょう。
(筑摩書房刊、『写真集 宮澤賢治の世界』より。
右下は「賢治愛用のセロ」。その他「賢治愛聴のレコードアルバム」、「クヮルテット用の譜面台」など)
下手っぴなチェロ弾きが、にわか仕込みの特訓を受けたというのは、彼の実体験です。賢治は大正15年にチェロを担いで東京まで行き、プロの楽士に3日間レッスンを受けたと伝えられますが、まあ、腕前は推して知るべし。童話のようなわけにいかないのは当然です。
彼の音楽への傾倒は、花巻農学校の教師時代からきざしていて、その背景には土を耕しつつ、芸術にも親しむような、理想的共同体づくりへの夢、農民芸術運動への強い関心がありました。科学的農法によって収量を安定させ、余暇にはレコードコンサートを開いたり、仲間と合奏したり…という夢を追っていたわけです。
それにしても、賢治の場合、なぜチェロだったのでしょう?
その点は、年譜を読んでもよく分かりませんが、ピアノやヴァイオリンは、ブルジョア的だとでも思ったのかもしれません。ただ、ひそかに思うに、マイナーな楽器の方が下手さが目立たなくて良い…という「現実的」な判断も、そこにはあったんじゃないでしょうか。
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