賢治の抽斗(第4夜)…セロとオルゴール(前編)

コメント(全4件)
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S.U ― 2013-06-22 21:03
以前、玉青さんの記事をきっかけに、賢治全集と抱影の関係を調べた時、賢治の友人で音楽教師であった藤原嘉藤治の伝記である「かとうじ物語」を読みました。その第4節に、嘉藤治が「ゴーシュのモデルとされた」と出ています。

(内城弘隆氏著 『かとうじ物語』)
[URL]
 合奏団の集合写真で、嘉藤治は確かにチェロを持っています。

 ひとつの可能性ですが、賢治は、嘉藤治の性格に自分の目標に近いものを見つけて、それでチェロを選んだのかもしれないと考えます。
玉青 ― 2013-06-23 17:11
「かとうじ物語」をご紹介いただき、ありがとうございました。
当時のいろいろな事情がたいへんよく分かりました。

記事を書く際、ウィキの「セロ弾きのゴーシュ」の項で、賢治と嘉藤治がチェロを交換するくだりを読んで、私は今も残っているチェロは、嘉藤治旧蔵の「穴開きセロ」だと、何故か反対に思いこんでいたのですが、おかげで誤解が解けました。あれこそ賢治旧蔵の、東京に担いでいった現物に間違いないわけですね。

それにしても、賢治はともかく、嘉藤治は音楽の先生ですから、チェロの腕前は賢治よりずっと確かだろうと思ったのですが、未亡人に言わせれば「ブーブーベーべー下手だったね、二人のセロは。」 とバッサリ(笑)。となると、嘉藤治こそゴーシュのモデルにごくふさわしいですね。

その生い立ちや生活態度を読むと、嘉藤治は本当にいい人だったみたいで、賢治が彼に惚れ込んで、「自分もチェロを」と思いついたのも、なんとなく分かるような気がします。


★P.S. こちらで恐縮ですが、ハーシェル協会の業務連絡拝受しました。いつもありがとうございます。
S.U ― 2013-06-24 07:11
>チェロを交換
 これは確かにややこしい話ですね。嘉藤治の苦労がありましたが、賢治旧蔵のチェロが今も残っているのはすばらしいです。
玉青 ― 2013-06-24 21:57
>ややこしい話

とはいえ、艶やかな美しさをたたえた「出戻り娘」ではありますねぇ(笑)。

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