最後の最後に大変な災厄を残して、今年の連休も終わりました。
ふと、今年もすでに3分の1以上が経過したのか…と気付き、愕然とします。
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以前、「明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(1)〜(9)」という長文の記事を書きました。
(↑青年期の前原寅吉と大理石製の太陽模型。この模型は、後に日本天文学会会長の寺尾寿に贈られた旨が、『前原寅吉天文論文集』の序文にあります。)
前原寅吉翁(1872−1950)は、八戸で時計店を営む傍ら天文趣味にのめりこんだ、明治時代にあっては稀有な存在で、上の記事はその実像をラフスケッチしたものです。
上の記事を書いた時は、ほとんど一次資料がなかったので、十分翁の実態に迫れませんでした。しかし、昭和7年(1932)に出た『前原寅吉 天文論文集 及身辺雑集』という小冊子のコピーを最近手に入れ、翁のことが少し詳しく分かったので、そのことを書こうと思います。(この冊子は国会図書館に所蔵されており、誰でもコピーを請求することができます。)
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これが表紙。「宇宙互愛研究所」という編者の名前からして、ちょっと微妙な雰囲気が漂います。
(マイクロからの複写なので一寸ピントが甘めです。)
奥付を見ると、「天文山 前原寅吉」の前に、「太陽観望眼鏡発明者、星座時計発明者、太陽光線療法器発明者、日本天文学会特別会員」という長々とした肩書きが付いています。
また冊子の巻末には、「来往文書集」と題して、いろいろな書状類が集められており、その内容は、「赤門出の秀才医学士大村光造先生〔…〕よりの書状」とか、「東洋皇漢医学の大家N氏よりの書翰」とか、はたまた「ユダヤ時代研究の一人者たるS氏よりの書翰」といった、必ずしも天文学とは関係ない人々による、寅吉翁を賛美する内容が続きます。極めつけは、「青森県庁 熊谷社会主事談」による「
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