明治日本のアマチュア天文家…前原寅吉翁のこと(4)
2010-12-28


『野の天文学者 前原寅吉』の著者、鈴木喜代春氏には、東北電力の広報誌「白い国の詩」(2008年夏号)のために書き下ろした、次の一文もあります(リンク先のページには寅吉の写真や、その使用した望遠鏡など、貴重な画像が載っています)。

■前原寅吉が観た宇宙
 (WEB版 [URL]

こちらは1次資料の直接引用もあり、いわば、『野の天文学者』よりも「大人向き」の内容です。冒頭、鈴木氏は「ハレー彗星を捉えた唯一の人」という章題で、以下のように記します。

「〔…〕こうして、いよいよハレー彗星が太陽の間を通過する〔1910年〕5月19日を迎えた。国立天文台は勿論、八戸町(現在は市)の前原寅吉も、3台の望遠鏡を物干し台に据え付けて、ハレー彗星の観測に備えた。

 ところがこの時、ハレー彗星の観測に成功したのは、時計店を営んでいた前原寅吉ただ一人だけだった。〔…〕
 このように天文台が総力をあげて観測に当たったが、新聞は次のように報じている。
 「観測の結果▽結局何の変化も見えず▽機械の不精巧が残念」(東京朝日新聞・明治43年5月20日)。
 「殆ど変化無し。昨日のハレー彗星観測。太陽面現象分らず。過半は望遠鏡の不備」(東京日日新聞・明治43年5月20日)。

 「満州日日新聞」では、「青森県八戸町前原寅吉氏は、夙に天文の研究に趣味を有し(中略)十九日、ハリー彗星の太陽面通過の際は、自家の考案になる望遠鏡にて、明らかに観測するを得たり(中略)列国の天文台が観測に失敗し居れるに、独り個人たる氏が此大成果を収め得たるは独り氏の名誉なるのみならず日本学界の光栄なりと云うべし」と報じた。

 「列国の天文台が観測に失敗し居れる」時、「独り個人たる」前原寅吉だけが「大成果を収め」成功したのだった。
 「天文台」の「観測に失敗」したのは「望遠鏡の不備」といっているが、この時の天文台の望遠鏡は、8インチ。寅吉の望遠鏡は3インチだった。寅吉はこの時、自分が考案した「太陽面直接観望用眼鏡」を望遠鏡に取り付けていた。」

   ★

ハレー彗星の太陽面通過の一件は、寅吉の「神格化」にあずかって最も大きなエピソードになっているようです。そして、それが子ども向きの本にとどまっているうちは、まだ良いのかもしれません。しかし、ウィキペディアの「ハレー彗星」の項にまで、その事績が大書されるに至っては、少なからず不安を覚えます(ウィキペディアの記事にはソースが書かれていませんが、たぶん鈴木氏の文章に拠ったのでしょう)。

はたして、これを全て事実と認定して良いか?

(この項つづく)
[彗星]
[天文趣味史]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット