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(↑W. S. Coleman, BRITISH BUTTERFLIES, 1895)
メジャーなのでご存知の方もいらっしゃると思いますが、「スチームパンク大百科」というサイトがあります(
[URL])。
冒頭にあるサイトの自己紹介文を引用させていただくと、
「レトロフューチャーな世界を夢見る管理人・麻理による書斎改造計画の記録です。スチームパンクに限らず、19世紀末のヴィクトリア時代・江戸末期・明治・大正期の風物、グッズの紹介、コラムなど。懐かしい未来へご一緒しましょう!」
という趣向。
スチームパンカーの中には、やたらとトゲトゲしい、異様な造形を好む人もいるようですが、上記サイトは、そうした狭義のスチームパンク趣味を越えて、より広く19世紀の文物を、歴史的な考証を踏まえつつ物語る内容になっています。その話題の中心が、古風なテクノロジーと装飾的なデザインをまとった理系文物であったり、重厚な書斎空間であったりするというわけで、僭越ながらこの拙ブログと興味関心の対象が重なっているなあ…と感じたのでした。
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その最新の記事が“永遠の理科少年少女たちの「蝶の標本」”
(
[URL])。
管理人である麻理さんの蝶コレクションについての話や、高校の生物部時代の思い出、さらに、児童向けの学習図鑑が1980年代後半に観察から飼育重視に方針転換したらしいという話題など、とても興味をそそられる内容でした。蝶によって装飾された、美しいお部屋の写真に目が行ったのは言うまでもありません。
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さて、ここからちょっと話が脱線します。
そんな麻理さんにして、「最初におことわりしておくと、私は蝶にはあまり詳しくなく、それほど思い入れがありません」と書かれているのを目にして、私はその点にも強い興味を覚えたのでした。
これは古くからの話題で、要するに「女性は真のコレクターとなりうるか」という設問に関わるものです。意見の分かれるところでしょうが、たとえば代表的「虫屋」である奥本大三郎氏の意見ははっきりしていて、
「『蒐集』という言葉は、女には解らないものの一つである」と断言しています。「女は宝石を集めたがるが、もし宝石からシンボリックな力や経済的な実力をとり去ってしまったら、大半の女は集めたものを子供にやってしまうだろう。―男の児に。」 (「芋虫、毛虫、挟んで捨てろ」、『虫の宇宙誌』所収)
そして、「日本鱗翅学界の会員二千人の中、女性会員の数は両手両足の指の数に満たない。…まさに暁天の星の如し、寥々たるものである」という事実を挙げ、「蝶の女流研究者と言うものは殆ど見たことも聞いたこともない」という昆虫学者・江崎悌三の随筆を援用しています。
ただし、(奥本説にしたがえば)女性に蝶マニアの心理が分からないのと同様、奥本氏には、蝶マニアの心を解さぬ女性の心理がさっぱり分からぬらしく、「女性…の不可解さは、肉体的な面よりも精神的な面においてより深いであろう」と、半ば匙を投げています。 (「雄と雌とその間」、上掲書所収)
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女性にはコレクターが少ない―皆無ではないと思います―という事実は、文化によって規定された性役割(ジェンダー)によっても、一部は説明がつくでしょうが、どうもそれだけでもなさそうです。事物への強いこだわりは、自閉症スペクトラムの主症状で、自閉症スペクトラムの発生頻度は明らかに男性の方が高いことからも、「コレクター傾性」ないし「オタク傾性」の背後に、何か生物学的要因があることは確かだと思います。
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