パロマーが巨大な眼を見開き、アメリカ中の人々がそれに歓呼していた頃、日本はどうだったか?
例えば…なのですが、パロマー完成の翌年、1949年に野尻抱影がこんな本を出しています。
(表紙を飾るアンパンマンのような火星)
■野尻抱影(著) 『少年天文学』
繩書房、昭和24(1949)
この本は、石田五郎さんの『野尻抱影』の巻末年譜にも、ウィキペディアの抱影著作一覧にも出てこないのですが、あの抱影が、『少年天文学』という素敵なタイトルの本を出していると知ったときは、無性に嬉しかったです。
(とはいえ、何しろ本を出せば売れた時代ですから、出版社が抱影の過去の著作を切り貼りして、抱影に名義だけ使わせてもらったんじゃないか…という可能性もちょっぴり疑っています。)
(同・奥付)
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そして、この本の口絵を飾っているのが、他ならぬパロマーで撮れたてほやほやの、おおぐま座の系外銀河「M81」の写真です。
右下の説明には「距離約3億光年」とありますが、現在の数値は約1200万光年です。
この本の想定読者である多くの中学生にとっては、当時、こんな古風な小望遠鏡ですら憧れでしかなかったはずで、ましてやパロマーの巨人望遠鏡といったら、想像するのも難しかったでしょう。
何しろ、この本が出たのは戦争が終わってまだ4年目で、日本は連合国(実質的には米国)の占領下にあった時期です。用紙の配給制度が依然続く中、至極粗末な紙に刷られたこの本とパロマーとの距離は、それこそ光年で計りたくなるぐらい懸隔があったのです。
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本文中では、パロマーのことが以下のように紹介されています(pp.127-8。なお、引用にあたり旧字体を新字体に改めました)。
「先ごろ完成した米国パロマー山の二〇〇インチ大望遠鏡は、一〇億光年も遠い星雲をさつえいするのに成功しましたが、なお、直径四八インチのレンズを持つ世界最大の写真望遠鏡もできて、四年計画で全天の撮影を開始しています。その予定では、約五億の恒星の他に約一〇〇〇万の銀河系外星雲をうつすそうです。
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