なぜ天文古書を?(中編)
2022-09-10


技術面に目を向けると、最初の本(『天文学』、1872年)によれば、ワシントンの国立天文台では、毎日正午の時刻を慎重かつ厳密に計算した後、この情報をいくつかの重要な関係各方面に「電報」で送るのだそうです。

彼らの考えのうち、現在では正しくないものでも、私は別に滑稽だとは思いません。そうした考えは、当時得られていた最良の情報に基づく結論だったのですから。私自身の考えにしたって、十分考え抜いたはずなのに、後から振り返ると、愚かしく思えることもあります。

まだ幼かった1950年代、私たち一家はコロンビア空港への最終進入路の近くに住んでいました。庭に寝転がって星を見上げ(その頃ヒアリはまだいませんでした)、8時のイースタン航空のコンステレーション機が飛んでくるのを、わくわくしながら眺めたものです。頭上から低空飛行で轟音が響いてくると、巨大な星型エンジンの鼓動が感じられるのです。その後、ある日ジェットエンジンを搭載した新型機が飛んできました。私は子供心に、いつかジェット機に乗れる日が来るのかだろうか?と、いぶかしく思ったものです。でも、当時主流だったコンステレーションのような民間プロペラ機には、結局これまで一度も乗ったことがありません。私の数多くのフライトは、すべて何らかのジェットエンジンによるものです。」

とはいえ、最後の人を除けば、明瞭に天文古書コレクターといえる人の書き込みはありませんでした。それに、あまり話題が発展したようにも見えません。Cloudy Nights に書き込むような人は、わりとディープな天文ファンだと思うんですが、それにしたって、天文古書の話題はマイナーなんだなあ…と、改めて思いました。しかも2005年の時点で、すでにそうだったわけです。

そして、上の投稿から9年後の2014年に、私自身が以下のような記事を書きました。

■天文古書の黄昏(1)
天文古書界で有名だった、ポール・ルーサー氏が商売をたたみ、ひとつの時代が終わったことを述懐する内容で、それを悲しむ他の人の声も紹介しました(連載は3回にわたって続きました)。

その後さらに8年が経過し、天文古書の世界はさらにシュリンクした感もありますが、スチュアートさんの問いに、今の私ならどう答えるか?を、次回書きます。

(この項つづく)

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