さて、前回挙げたリドパス氏の記述に沿って、透過式星図の例を発行年代順に見ていきます。まず登場するのは、Franz Niklaus Konig の『Atlas celeste』(1826)。
最初にお断りしておくと、この星図はオリジナル資料が手元にありません。以下、ネット情報を切り貼りして、概要だけ整理しておきます。
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フランツ・ニクラウス・ケーニッヒの名前で検索すると、すぐに一人の人物がヒットします。私は知りませんでしたが、
日本語版ウィキペディアにも出てくるので、それなりに有名な人なのでしょう。
「フランツ・ニクラウス・ケーニッヒ(Franz Niklaus Konig、1765年4月6日−1832年3月27日)は、スイスのベルン出身の肖像画・風俗画家。
ティベリウス、マークォート・ヴォッヒャー、ジークムント・フロイデンバーガー、バルタザール・アントン・ドゥンカーらとともに研鑽し、伝統衣装や田舎の風俗、風景を描いて名を上げていった。」
…とあって、何せこんな↓絵を描く人ですから、これはさすがに同名異人だろうと思いました。
(ウィキペディアの当該ページより)
でも、その先を読んでいくと、やっぱりご当人だったのです。
天文学とは無縁のケーニッヒが、星図帳を編むきっかけとなったキーワードは「透かし絵(独 Transparentgemalde/英 transparent paintings)」です。
「ランプシェードに絵を描いているうちに、ケーニッヒはあるアイデアを思い付いた。より大きな紙面に水彩で絵を描き、それを枠に張って、背後から光で照らしたらどうだろう?透かし絵は、月明りや日の出どきに眺めてもいいし、背後を灯火で照らす「からくり絵」にも向く。彼の透かし絵は大評判となり、ケーニッヒは1815年、ベルンに「透かし絵の部屋」をオープンするとともに、スイス、ドイツ、フランスの各地で興行を行った。そして、ワイマールではゲーテもそれを目にして、大いに興味を持ち、それについて文章を発表した。」
…という次第で、日本でいえば一種の灯籠絵なのでしょうが、この工夫がヨーロッパの人に大いに受けたようです。
ここに星図の話は出てきませんが、ウィキペディアの記事は「1826年刊のケーニッヒによる星図」
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