昨日触れた、大崎氏の『中国の星座の歴史』の第三部「中国星座名義考」。
ここには、全部で300個余りの星座名が挙がっています。そして、大崎氏はその一つひとつについて、名義解説をされています。
300個というのは相当な数で、いわば中国は星座大国と言っていいと思いますが、ただ、その背後にある星座ロマンの部分に関しては、必ずしもそうではありません。
中国の星座世界は、地上の王朝の似姿として、天帝(北極星)を中心とする「星の王宮」として造形されている…というのはよく言われるところです。星の世界には、天帝に使える諸官がいて、車馬や兵が控え、建物が並んでいる――。
まあ、その総体を星座神話と呼んでも間違いではないのでしょうけれど、ただ感じるのは、そこにストーリーを伴った<物語らしい物語>が乏しいということです。大崎氏の解説も、多くは「語釈」に割かれており、例えば角宿(おとめ座の一部)にある「庫楼」という星座は、「屋根のついている二層の倉庫。武器や戦車の置場として多く利用された。」といった具合。他の星座も多くは大同小異で、そこに何か<お話>が伴っているわけではありません。これは中国の文芸の伝統を考えると、少なからず意外な点です。
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とはいえ、中国の星座神話がまったく無味乾燥というわけでもなくて、東洋の星座ロマンにあふれる話もいくつかあります。
たとえば、シリウスの漢名である天狼(テンロウ、井宿)について、「狼星は漢水の水源地である〓塚山の精が、天に昇って星になったもの」だとか、文昌(ブンショウ、紫微垣)の前身は、「黄帝の子で揮という。死後星と化して、天帝によって文昌府の長官を命ぜられ、功名、禄位をつかさどった」とか、あるいは王良(オウリョウ、奎宿)について、「戦国時代の名御者。〔…〕王良が名御者であったので、天に上って星となり、天馬をつかさどったという話もある〔…〕。この天馬とは「天駟」とよばれる王良5星の内の4星である」とし、さらに同じ奎宿中の策(サク)は、「王良の使った馬を打つむち」である…とするなどは、星座伝承として首尾の整ったもので、ちょっとギリシャの星座神話っぽい味わいがあります。
(北斗の柄杓の口から、やまねこ座に寄った位置にある「文昌」。伊世同(編)『中西対照恒星図表』(北京・科学出版社、1981)より。以下同)
(「王良」はカシオペヤ座のWの右半分。その脇に「策」も見えます。)
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