さよならの時
2017-11-25


犬や猫を飼っている人がよく漏らすのが、ペットの死を看取る辛さです。それが嫌さにペットを飼わないという人も多いようです。しかし、ヒトと犬・猫は、異なる時間の流れを生きている以上、そうしたすれ違いは避けがたいことです。

私は犬も猫も飼っていませんが、似たような看取りの辛さは、何度か経験しました。
ちょうど今も、そうした別離の時が近づいていることを感じて、何だか暗澹たる気持ちになっています。

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今朝からPCの不調が続いていて、今もだましだまし使っています。
このところ、ちょっとしたエラーが頻発しており、それはソフト的なものではなく、ハード的なものであることを、HDDのかすかな異音に、微熱が続く本体に、ディスプレイの不可解な色滲みに感じ取り、死の予兆に戦(おのの)いています。

弱音を吐かずに付き合ってくれる彼/彼女に、ついつい無理をさせてしまった私も悪かったのでしょう。しかし、別離の根本原因は、ヒトと機械は違う時の流れの中で生きているという冷厳な事実です。

人が人であるがゆえに味わう「愛別離苦」。
別離に苦しむことは、私が人である証でもあります。

禺画像]
(ムンク作 「病める子」)

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とはいえ、今は限りある命を全うできるよう、延命に最大限力を尽くしているので、昨日の記事の続きはお休みです。今後、ブログの更新が予告なく途絶えたら、上のような事情によるものとお考え下さい。

[身辺雑記]

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