2015-06-20
とあり、これはトアロードとの交点です。地図でいうと、「中山三」(印刷がかすれて「中山二」に見えますが、「中山三」です)の電停の位置で、角に北野小学校が立っています(現在は統廃合により閉校。その校舎は「北野工房のまち」という観光施設に転用されています)。
しかし、「私」はこの時すでに、「新規に建った四階の石造の小学校から、A公園までの中間」に至っているはずで、中山手3丁目ではどうも話が変です。しかも北野小学校が「石造」(鉄筋コンクリート)になったのは昭和6年(1931)で、しかも3階建ですから、文中の記述と照応しません。
(MAP 5:説明の便のため、左側に地図を足しました)
結論から言うと、これはもっと西側の山手小学校(現・こうべ小学校)のことだと思います。ここに小学校が2つ並んでいるのは、男子(諏訪山)と女子(山手)を別学としたためで、山手小学校のほうは、大正10年(1921)に、鉄筋コンクリート4階建に建て替わりました。文中の記述とピタリ合います。
一方「A公園」とは、明治44年(1911)にオープンした大倉山公園とおぼしく、これは「ハイカラ神戸」の西を画すランドマークです。「A公園」とは単なるアノニマスな表記かもしれませんが、大倉山は元々「安養寺山」と呼ばれたので、そのイニシャルを取ったとも考えられます。
結局、「中山手三丁目の辻」は足穂の勘違いということになるのですが、なぜ彼はそんな間違いを犯したのか?これは「星を売る店」の成立事情にも関わることです。
(予想以上に長くなったので、ここで記事を割ります)
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