さて、2月から続けてきたカテゴリー縦覧も、十分ゴールが見えてきたので、この辺で少し一服します。
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稲垣足穂の自伝的小説、「弥勒」(初出は1940年)。
明石・神戸で過ごした夢見がちな少年時代を描いた第一部と、後年上京して、物質的窮乏の果てに一種の「宗教的回心」を遂げるまでの心模様を描いた第二部を強引につなげた、なんだか不思議な結構の作品ですが、足穂にとっては、そこに確かな内的必然性があったのでしょう。
その中に、足穂(作中の江美留<エミル>)が6月の情調を感得した、以下のくだりがあります。
〔…〕或る昼休みの教室の黒板に、I は「六月の夜の都会の空」という九字を走り書きして、直ちに消してしまった。「いや何でもありやしない」と彼は甲高い声で江美留に云った。「―でも、ちょっといい感じがしやしないかい?」
なるほど! 六月の夜の都会の空。
この感覚は自分にも確かに在った。夕星を仰いで空中世界を幻視する時、そんな晩方はまた、やがて「六月の夜の都会の空」でなければならない。汗ばんで寝苦しがっているまんまるい地球を抱くようにのしかかっている暗碧の空には、星々がその星座を乱したのであるまいかと疑われるほど狂わしげな位置を採って燦めき、そして時計のセカンドを刻む音と共に地表の傾斜がひどくなって、ついに酸黎のように赤ばんだ月をその一方の地平線におし付けてしまった刻限には、昼間から持ち越しの苦悩に堪えかねた高層建築物たちは、もはや支え切れずに、水晶の群簇(ぐんぞく)のように互いに揺らめきかしいで、放電を取り交わしているのでなければならない。
(稲垣足穂「弥勒」、新潮文庫『一千一秒物語』所収)
「 I 」というのは、足穂と関西学院中学で同窓だった猪原太郎のことで、このエピソードはほぼ事実でしょう。後に足穂が文壇デビューしたのと同じ時期、彼も「猪原一郎」名義で、いくつかの作品を雑誌に発表したそうですが、作家としては大成しませんでした。しかし、その鋭角的な感性は、十代半ばの足穂を存分に刺激し、作家・イナガキタルホの誕生にとって、甚大な影響があったと思います。
(額に関学の三日月マークをつけた、18歳の稲垣足穂(後列中央) 出典:「ユリイカ」2006年9月臨時増刊号)
「弥勒」は、さらに次のような回想に続きます。
Tの云い方を借りれば、その時刻には、どこかの地下室で、競走馬の頭巾のような白覆面の連中がニトログリセリンの桶を前に誓約を立てていることであろうし、またカレー氏の仮装舞踏会から美少年を誘拐した縞の仮面を付けた紳士が、オペラ座前の広場に全速力で自動車を飛ばせていることでもあろう。
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