頭をゴンと叩かれて、3秒後に「痛て!」と叫ぶような記事ですが。
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神戸海洋気象台のことは、過去何度か記事にしたことがあります。
西洋のお城のような、そのお伽チックな外観にも惹かれましたし[
LINK]、長野まゆみさんの名作「天体議会」の舞台と想像したこともあります[
LINK]。さらに、実際にその場所を訪問し、ガラーンとした空地を見出したり(←移転していたのを知らなかったため。[
LINK])、かつて同気象台が誇った日本一の巨大望遠鏡と対面したり…[
LINk}。
その海洋気象台が、何と昨年10月1日に、ただの「神戸地方気象台」に改組されていたことを知りました。そして長崎と函館の海洋気象台も、同じく地方気象台となり、舞鶴海洋気象台に至っては廃止。つまり、昨年9月末日をもって、日本の海洋気象台はすべて消滅していたのです。
ああ…銅貨や水蓮は、これからいったいどこで「天体議会」を開けばよいのか?
あの議会の舞台は、やはり「海洋気象台」であってほしかった。
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上の事実を知ったのは、出版年が不明の↓の印刷物をたまたま手にしたからです。
■改正大日本気象信号標識(全)
中央気象台公報、神戸測候所校閲
海文堂出版部(神戸)発行
ここに出てくる神戸測候所と海洋気象台の関係を調べてみると、先にできたのは兵庫県立神戸測候所で、明治29年(1896)のことです。その後、大正9年(1920)に海洋気象台が同じ敷地内に創設され(官制上、気象台は国直轄ですが、神戸の場合は地元兵庫県の意向(+お金)がモノをいったらしい)、さらに昭和14年、神戸測候所が海洋気象台に吸収される形で、両者は最終的に統合されました。
上のような沿革を考えると、多少曖昧な点は残るものの、この印刷物が出たのは、おそらく大正の前半、海洋気象台の創設前だと思います(創設後ならば、海洋気象台の名で出版するのが自然なので)。
その中身は、状袋に入った1枚ものの刷り物(53×38.5cm)。
風向・天気を示す信号旗が目に鮮やかです。
ジブリ映画「コクリコ坂から」で、主人公の風間俊と松崎海が信号旗でやりとりしていた場面を思い出しますが、あちらは「国際信号旗」による「旗旒(きりゅう)信号」というものだそうで、この気象信号とは別物。
そして海の男が何よりも恐れる暴風雨。この気象信号システムでも、最も工夫をこらしているのが、暴風雨情報をいかに簡潔に伝達するかでした。
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