夢の町に息づく理科少年たち
2010-01-14


禺画像]
(↑鴨沢祐仁、「流れ星整備工場」より。イメージ程度の画像にとどめておきます。)


<昨日の続き>

小林健二氏と、鴨沢祐仁氏との出会いは1975年。
二人は当時18歳と23歳。
といっても、両者が直接出会ったわけではありません。

「1975年、ぼくは溶接のアルバイト等をやりながら、夜、
絵を描いたりしておりました。〔…〕そんなある日、いつ
もの具合で『ガロ』を立ち読みしていると、興味を引く作
品が2つも載っていて、すごく得をした思いでした。そし
て、その内の一つが鴨沢さんの『クシー君の発明』だった
のです。」

小林氏が「ガロ」という特異なコミック誌とかかわったのは、1976年までのごく短い時期だそうですから、鴨沢氏の鮮烈な作品群と小林氏が出会えたのは、一種幸運な偶然が作用したのだと思います。

「『流れ星整備工場』この素敵な題の作品はリアルタイム
ですべてを読んだわけではありませんでしたが、やはり
同じような想いを感じている人がいると思った作品でした。
友人との夜の散歩、緑色のリボンの付いた星座早見表
(子供の頃にこんなのがあったら、いや、今でもほしいと
思います)、ぼくも路面バスのパンタグラフからの火花と
流星群との関係は、作文で書いた事がありました。そして
何より彼が作品の中で書いている『心牽かれるオブジェ…』
に至っては、まさに『こんなお店にぼくも行きたい!』でし
た。」

オブジェ好きという点で、この2人のクリエーターには共通するものがあります。
そして、当のオブジェと同じぐらい、あるいはそれ以上に、それを売っている<お店>や、そこで買い物をする<少年たち>、そしてそれらすべてをひっくるめた<夢の町>に惹かれる気質においても、似通っているような気がします。

<夢の町>と言いましたが、小林氏には次のような哀切な実体験があります。
クシー君の世界に小林氏が深い思い入れを抱いた理由も、これを読むとよく分かります。

「そういえば、小学校の頃、ぼくは二級下のとても親しい
友人といつもいっしょに遊んでいました。彼はやがて遠い
世界に旅立ってしまいましたが。

 ぼくらが好きだったのは散歩することで、時にはけっこう
遠くまで行ってしまい、バスや地下鉄で帰らなければなら
なかったのですが、たいていは夜、基地と呼ばれた秘密
の場所で出合ってからの散歩でした。もちろん学校では
夜の外出は禁止されていましたが、ぼくらはほとんど毎日
何年もの間中、夜の世界を散歩したというわけです。夏や
冬の休みになると、各小中学校の天文部あるいは天体ク
ラブがそれぞれの学校の屋上や校庭でなにがしかの天体
観測をしたりしていて、とりわけ夏の方は、他校の生徒でも
どうにか紛れこんだりできたものです。

 そんな時代にはまさに鴨沢さんの世界のように、ぼくらの
夜となると暗くなってしまう町にもいろいろな場所に簡易な
観測所ができて、同世代の子供たちが夜中何人も起きて
いて、星座や流星群を観察し、思い思いにノートをとったり
食事をしたり、寝袋から夜空を見上げたりしていたのです。
ぼくらはそれぞれの学校を巡り、あこがれの16センチ屈折
や30センチ反射望遠鏡などをのぞかせてもらい、夜がいつ
までも明けない事を願ったりしたものです。

 ぼくらの町のいたるところで、たくさんの仲間たちが同じよ
うな真摯な気持ちをいだいて、夜の中の宝物を発掘してい
たのです。

1975年のあの日、クシー君と出会った一人の溶接工が憧憬
をよみがえらせ、ぼくにもユメがあったんだと思い出してい
たのです。」

引用が長くなりました。

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