北海道日食のつづき。
北海道で皆既日食があった1896年と1936年、明治と昭和の間の40年間で大きく変わったものがある…と書きましたが、それは私の創見ではなく、1936年の日食観測報告書にそう書いてあるのを見て、「なるほど」と思ったのでした。
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連載の2回目で書いたように、このときは大学関係をはじめ、気象台や逓信省等、多数の観測隊が北海道入りをしましたが、その中にあって純然たる民間の立場で参加したのが、五藤光学研究所の遠征隊であり、それを率いたのが所長の五藤齊三(ごとうせいぞう、1891−1982)です。
(興部〔おこっぺ〕の観測地に立つ五藤齊三。『北海道日食観測報告書』より。以下同じ)
(五藤隊が布陣した興部の位置)
五藤隊は、帰京後『北海道日食観測報告書』という冊子を公刊しています(奥付がなく、正確な刊年は不明)。
(まだらになっているのは染みではなく、そういう模様の紙を使っているため)
ただし、これは独立した報告書ではなく、既に公刊済みの以下の3編の報文を一冊にまとめたものです。
■五藤齊三、「北海道興部皆既日食観測に於ける眼視観測と撮影装置」
「科学知識」昭和11年8月号
■平山清次、「日食後記」
「改造」昭和11年8月号
■S. GOTO & M. YAMASAKI,
Cinematographic Observations of the Total Solar Eclipse of June 19, 1936.
Popular Astronomy, vol. XLV, No.5, May, 1937.
2番目の「日食後記」の筆者、平山清次(ひらやまきよつぐ、1874−1943)は、五藤隊に加わっていたわけではありませんが、文中で五藤隊の業績を好意的に取り上げているので、特に載せたものと思います(平山は前年に東京天文台を定年退官しており、自ら隊を率いることはありませんでしたが、東京天文台あるいは東大隊のどれかに随行していたのでしょう)。
平山はこう書きます(引用にあたり旧字体を新字体に改めました。〔 〕内は引用者)。
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