今朝、露地に朝顔が咲いていました。
特に植えた記憶はないのですが、野生化して毎年実生で勝手に生えてきます。
さらにその隣には桔梗も一輪咲いていました。
こちらは2年前に植えたものが、うまく根付きました。
朝顔はその種子が下剤になるというので、平安時代に薬用植物として渡来し、以後「あさがお」といえば、このヒルガオ科の可憐な花を指すようになりましたが、それ以前、万葉集に出てくる「あさがお」は、今の桔梗ないし槿(むくげ)を指すと、ものの本には書かれています。
こうして新旧の「あさがお」が並んで咲いているのは、興の深いことと思いました。
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ときに朝顔は上のような次第で、最初は「あさがお」と呼ばれず、漢名で「牽牛」と呼ばれたと聞きます(薬品名としては、「牽牛の種」の意味で「牽牛子(けんごし)」)。
この名は七夕の牽牛(彦星)と関係があるのかないのか?
今のように温暖化する前は、朝顔はたしかに旧暦の七夕の時期(おおむね8月頃)に咲いたので、そこに結びつきを感じるのは自然なことで、実際「そういう説もある」みたいなふわっとした記述もネット上では散見されます。
まあ無責任な伝聞や噂話の類はとりあえず脇に置いて、ちゃんと典拠を示して解説されているページがあったので、ようやく合点がいきました。
■ほーほの落穂ひろい:アサガオの別名
著者hoch氏によれば、平安時代の『倭名類聚抄』にその記述があり、もとの漢文を読み下すと「陶隠居本草に牽牛子と云う。此田舎に出て凡人之を取る。牛を牽いて薬に易(か)う。故に以って之を名づく」とあり、ここに出てくる「陶隠居本草」とは、中国六朝時代の陶弘景(456−536)が著した『本草集注』〔神農本草経集注/集注本草〕である由。
つまり、中国の古い医書ないし本草書に、名前の由来とともに出てくるのが大元で、朝顔が貴重だった時代、牛を引っ張って行って、それと換えるほど高価だったから…というのが、その由来のようです。
結局、
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