今週は広島、長崎の慰霊の日が続きます。
そして広島平和記念日の前日、8月5日もまた鎮魂の日です。
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文学者の渋澤龍彦(1928−1987)が亡くなったのは、今から37年前、昭和62年の8月5日のことでした。
私は渋澤の小説も訳業もほとんど読んだことがありませんが、彼の有名な北鎌倉の書斎(と隣の居間)のたたずまいは非常に好いていて、関連する本を折々手にしました。
したがって、私は渋澤龍彦のファンではないにしろ(渋澤のファンであれば、たぶん「澁澤龍〓」と書かねば気が済まないでしょう)、「渋澤の書斎のファン」ではあるのです。そういう人は意外に多いんじゃないでしょうか。
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彼の没後30年を記念して、2017年に世田谷文学館で開催されたのが、「澁澤龍〓 ドラコニアの地平」展で、その図録として刊行されたのが、同題の単行本です。
(平凡社、2017)
先日、この7年前の図録を購入して、7年間の時の厚みが加わった過去をぼんやり回顧していました。考えてみれば、彼が生きていれば100歳老人も目前だし、彼が亡くなった年に生まれた人はすでに37歳ですから、渋澤が「昔の人」となるのも無理はありません。
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図録の冒頭、「もしかしたら、ノスタルジアこそ、あらゆる芸術の源泉なのである」という渋澤の言葉が掲げられていて、虚を突かれました。
ノスタルジアを視野の外においた芸術も当然あると思うんですが、こうズバッと言われると、なんだか真理のような気もするし、何よりこのブログ自体がノスタルジアを源泉としているので、ひどく共感したということもあります。
「闇の夜に鳴かぬ烏の声聞けば 生まれぬ先の親ぞ恋しき」
という道歌があります。
ノスタルジアというのは、自分の個人的経験を超えて、さらにその先に広がっているので、それもひっくるめれば、芸術――精神の営みといってもいいです――の多くがノスタルジアに発しているのも、また確かでしょう。
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