草下英明氏に「賢治の読んだ天文書」という論考があります(『宮澤賢治と星』、学芸書林、1975所収)。その冒頭に次の一節があります。
「昭和26年5月、花巻を訪れて〔実弟の〕清六氏にお会いした折、話のついでに「賢治さんが読まれた天文の本はどんなものだったんでしょうか。貴方に何かお心当りはありませんか」とお尋ねしてみたが「サア、どうも覚えがありませんですね。多分貧弱なものだったと思いますが」というご返事で…」
草下氏の一連の論考は、「星の詩人」宮澤賢治の天文知識が、意外に脆弱であったことを明らかにしています。たとえば「銀河鉄道の夜」に出てくる「プレシオス」という謎の天体名。これは草下氏以降、プレアデスの勘違いだったことが定説となっています。こんな風に、賢治作品で考証が難航した天体名は、大体において彼の誤解・誤記によるものらしい。
もちろん、それによって彼の文学的価値が減ずるわけではありませんが、後世の読者として気にはなります。
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…というのは、14年前に書いた記事の一節です(引用にあたって表記を一部変えました)。
■魚の口から泡ひとつ…フィッシュマウスネビュラの話
上の記事は、賢治が作品中で使った「フィッシュマウスネビュラ」という見慣れない用語について書いたもので、賢治の天文知識のあやふやさを指弾する色彩を帯びています。すなわち、賢治が今でいうところの「環状星雲」を「フィッシュマウスネビュラ」と呼んだり、天文詩『星めぐりの歌』の中で、「アンドロメダのくもは さかなのくちのかたち」とうたったのは、彼の勘違いであり、記憶の錯誤にもとづくものだ…というようなことを、草下英明氏の尻馬に乗って書き記したのでした。
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例の
「The Astronomers’ Library」[LINK]を、晴耕雨読よろしく庭の片づけ仕事の合間に読んでいます。その中で、上の記事に関連して、「おや?」と思う記述を目にしました。そして、少なくともアンドロメダ銀河を賢治が「魚の口」と呼んだのは、やはり典拠のある話であり、それを賢治の誤解で片づけたのは、私や草下氏のそれこそ無知によるものではないか…と考えなおしました。
というのは、「The Astronomaers’ Library」は、ペルシャで10世紀に編纂されたアル・スーフィの『星座の書』を紹介しつつ、次のように書いているからです。
「この本のもう一つの注目すべき点は、アンドロメダ座――あるいはアラビア語でいうところの「巨魚座 Big Fish」 にある、(アラビアの天文学者には)よく知られた「小雲(’little cloud’)」に関する最初の記録であることだ。」
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