「あこがれ論」…天文古玩趣味の根っこを考える
2024-03-24


唐物というのは、中国に限らず広く異国から輸入された品ということで、後の言葉でいう「舶来品」と同じ意味です。そして後世の「舶来品信仰」と同様、唐物は質が良くて高級なのだ…という理解が、人々に共有されていました。(もともと財力のある人しか手にできない「威信財」の側面があったわけですから、唐物は実際良質ではあったのでしょう。でも、そこには「どうだ、こいつは舶来品なんだぜ!」と誇る気持ちが露骨にあって、実際以上に下駄を履かされていた側面もあったと思います。)

唐物嗜好は、奈良・平安にとどまらず、その後も長く日本文化の基層をなし、後には南蛮貿易や長崎貿易を介してヨーロッパ文化へのあこがれを生んで、そのまま近代に接続しています。

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(各種展覧会図録。千葉市美術館(編)『江戸の異国趣味―南蘋風大流行』、2001/北海道立函館博物館・神戸市立博物館(編)『南蛮・ハイカラ・異国趣味』、1989/京都文化博物館・京都新聞社(編)『Winds From Afar 異国の風―江戸時代 京都を彩ったヨーロッパ』、2000)

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遠い時代へのあこがれ。
遠い異国の文物へのあこがれ。

あこがれの根っこには、常に時間的・空間的な隔たりがある。…というと、「じゃあ、『身近な先輩へのあこがれ』みたいなのはどうなの?」という問いも出るでしょうが、たとえ時間的・空間的に近接していても、その先輩はやっぱりどこか遠い存在なんだと思います。つまり物理的遠さならぬ心理的な遠さ。

「あこがれ」の古形は「あくがれ」で、原義は「本来の居場所を離れてさまようこと」の意味だと、語源辞典には書かれています。そこから「心が肉体を離れてさまよう」、「心が対象に強く引きつけられる」という意味に転じたとも。

この「(心が)本来の居場所を離れてさまよう」というニュアンスは、今の「あこがれ」にも色濃く残っている気がします。

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(荒木瑞子『竹久夢二の異国趣味』、私家版、1995/鹿沼市立川上澄生美術館(編)『南蛮の川上澄生』、同館、1993)

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冒頭にもどって、「王朝のみやび」が私に省察をせまったのは、こうしたあこがれの本質が、私の天文古玩趣味にも色濃くにじんでいると思ったからです。

星はそれ自体遠い存在なので、普通の天文ファンも、星に対する強いあこがれを掻き立てられていると思います。その上さらに「古人の星ごころ」という迂回路を経由して星の世界に接近しようというのは、迂遠な上にも迂遠な方法ですが、そうすることで一層あこがれは強まり、思いが純化されるような気が何となくするのです。


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