衰へたる末の世とはいへど…
2023-08-08


日本の山野は気象条件に恵まれ、豊かな森林に覆われていました。

西日本であれば、常緑広葉樹が優占する、いわゆる「もののけの森」が広がっていたわけです。そこではいくら木を伐っても、後から後から植物は再生し、深い森が永続し…という時代が実際長かったように思いますが、中世以降、エネルギー源として大量の薪炭を森に求めるようになると、さしもの日本の植生も、収奪に耐えられなくなり、特に瀬戸内のように降水量の少ない地域では、はげ山化が急速に進みました。

ひとたび植物が消え、その根系が保持していた表土まで失われると、再び森が再生するには、非常に多くの努力と長い年月が必要になります。豊かな自然に甘え、「樹木なんて、ほっとけば勝手に生えて、勝手に茂るものだろう」と思って、じゃんじゃん伐りまくったツケは、必ず回ってくるものです。

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(大阪府泉南市、昭和初期の山の様子。出典:大阪府の治山の歴史

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似たようなことを、現今の日本の「文化行政」にも感じます。
人々の熱意と好奇心と使命感の一方的収奪による、文化のはげ山化―。
今、我々が目にしているのは、要はそういうことでしょう。

科博のクラウドファンディングの件については、すでに多くの人が問題にしているので、そこに付け加えるべきことは、あまりありません。ただ、ここまではげ山化が進行してしまうと、「文化の森」が再生するのは、まことに前途遼遠だなあ…と嘆息したくなります。

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身近なところで振り返ると、各地で図書館司書の非正規化が進行していたとき、もっと強い危機感をもって反対すべきでした。そのことに眉をひそめはしたものの、より大きな潮流の先触れという認識に欠けていました。これは私自身の大きな反省です。

博物館とともに、博物館に勤務する人も貧しくなれば、博物館や美術館の収蔵品が、いつのまにか市中やブラックマーケットに流出している…なんていう出来事が日常化するのも、もうじきでしょう。かつて先進国と呼ばれた国が、ここまで落ちぶれてしまうとは…。呆然とする他ありませんが、せめて他国の人は、以て他山の石とし、同じ轍を踏まないようにしていただきたいと願うばかりです。

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そしてまた、文化は人の心の糧であり、文化が冷遇されるということは、とりも直さず「人」が冷遇されるということでもあります。現状を直視すれば、そのことに異を唱える人も少なかろうと思います。

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以前もどこかで書きましたが、「文化で腹がふくれるか!」という人に対しては、「金銭で心が満たされるか!」

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