牧野富太郎の手紙
2023-04-09


(昨日のつづき)

さて、牧野富太郎の手紙の内容に入ります。
手紙の差し出しは、昭和10年(1935)12月7日、消印は12月8日付になっています。

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宛先は荏原区戸越、今の品川区に住んでいた篠崎信四郎という人物です。
篠崎は伝未詳ながら、明治43年(1910)に成美堂から『最近植物採集法』という本【LINK】を上梓しています。同書は牧野の校閲を経ており、篠崎は序文で牧野を「恩師」「先生」と呼んでいます。また、牧野が明治44年(1911)に組織した「東京植物同好会」(発足時の名称は「東京植物研究会」)の会員として、1910〜30年代の植物学関係の雑誌に、その名が散見されます。おそらく牧野に学び、牧野の周辺で活動を続けた、在野の植物研究者なのでしょう。

手紙は便箋2枚にペン書きされており、下がその全文。

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江戸時代のくずし字ほどではないですが、今ではこうした手紙もずいぶん読みにくいものになっていて、私も首をかしげた箇所がいくつかありました。それでも凝視していると徐々に読めてくるもので、特に不都合な内容もないので、以下に書き起こしてみます(改段落は引用者。ネット情報をつまみ食いして、いくつか註も附けました)。

   ★

貴簡をありがたく拝見いたしました。其后御変りない事と御慶び申上げます。

「趣味の植物採集」(注1)其内に御送りいたします これは三省堂の乞ひにより彼の岩波のもの(注2)や何かを集め参考して拵へたものです それに出てゐる菩多尼訶経(注3)の誤字御しらせ下され誠にありがとう存じます 私は出版語〔後〕余り気を附けて見なかったが大分訂正せねばならぬものがありますナー

神変大菩薩の碑(注4)の蘭山が若し彼の蘭山(注5)でしたらマダ誰れも知らぬ面白い事です それはそれが蘭山の手跡ならば其文字を見れば判断がつくと思ひます 拓本を作って見てはどうですか これは彼の雪花墨即ち鐘墨(ツリガネズミ)でやれは造作もなくとれます 鐘墨は鳩居堂に売ってゐます 廉価な品物です 確か一個十五銭位だと思ひます

榕菴(注6)の学識は無論貴説の通りシーボルトの感化もありませうが何を言へ蘭書など読む力が充分であった為めそれからそれへと読み行いてこそでいろいろの新知識と新知見を得たものでせう

作〔乍〕延引右御礼申上げます
御自愛を願上げます 牧野富太郎
   十二月七日
 篠崎賢台 机下

【注】
(1)

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