これまた小さな月の工芸品。左右は3.9cmほどで、人差し指の先にちょこんと乗るぐらいのサイズです。
月に薄の図で、三日月とススキの穂に金箔を置いたのが、渋い中にも華やかさを感じさせます。よく見るとススキの葉に小さな露が玉になっていて、こういうところが細工士の腕の見せ所。
これは「目貫(めぬき)」、つまり日本刀の柄(つか)を飾った金具で、昔の侍というのは、威張っているばかりでなく、なかなか風雅な面がありました。
月に薄の取り合わせは、お月見でもお馴染みですし、ふつうに秋の景色を描いたものとして、特段異とするには足りないんですが、実はこの目貫は2個1対で、もう一つはこういう図柄のものでした。
こちらは烏帽子に薄です。「これはいったい何だろう?」と、最初は首をひねりました。昨日の記事で「文化的約束事」ということを述べましたが、こういうのは要は判じ物で、分かる人にはパッと分かるけれども、分からない人にはさっぱりです。私もさっぱりの口だったんですが、ネットの力を借りて、ようやく腑に落ちました。
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まず、ここに描かれているのは烏帽子ではなくて、「冠」だそうです。
正式には巻纓冠(けんえいかん)と呼ばれるもので、特に両耳のところに扇形に開いた馬の毛の飾り(老懸・おいかけ)が付いているのは、武官専用の冠であることを示しています。
そして、この冠の主は下の人物だと思います。
(在原業平像 狩野探幽筆『三十六歌仙額』)
在原業平(825−880)は歌人として有名なので、文人のイメージがありますが、その官職は右近衛権中将で、れっきとした武官です。したがって狩野探幽が業平を武官姿で描いたのは正確な描写で、彼は古来「在五中将(在原氏の五男で中将を務めた人)」の呼び名でも知られます。
そして業平といえば、『伊勢物語』です。中でもとりわけ有名な「東下り」と武蔵国でのエピソードが、この「薄と冠」の背景にはあります。したがって「月と薄」の方も、単なるお月見からの連想というよりは、和歌で名高い「武蔵野の月」
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