驚異の部屋にて
2022-12-29


先日、所用で東京に行ったついでに、しばらくぶりに東京駅前のインターメディアテク(IMT)を訪ねました。この日は一部エリアが写真撮影OKだったので、緑の内装が美しい「驚異の小部屋・ギメルーム」で盛んにシャッターボタンを押しながら、かつて東大総合研究博物館の小石川分館で開催された「驚異の部屋展」(2006〜2012)のことなどを懐かしんでいました。

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ただ、「ワクワクが薄れたなあ」ということは正直感じました。
昔…というのは、このブログがスタートした当初のことですが、あの頃感じたゾクゾクするような感覚を、今のIMTから汲み取ることができないのは、我ながら寂しいなあと思います。もちろんこれはIMTのせいではなくて、見慣れることと驚異は、本来両立しないものです。

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当時、「驚異の部屋展」会場で味わった、未知の世界を覗き込むあの感じ。
思えば、あれは私にとっての大航海時代であり、ひるがえって、大航海時代のヴンダーカンマーの先人たちが味わった感動は、あれに近かったのかもしれません。

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…と、ここまで書いて「いや、待てよ」と思いました。

ここでもう一段深く分け入って考えると、「見慣れる」ことと「熟知する」ことは、まったく別物のはずです。私はギメルームに居並ぶモノたちを、なんとなく見知った気になっていますが、じゃあ解説してみろと言われたら、言葉に詰まってしまいます。私はそれを知った気になっているだけで、実は何も知らないのです。そして、一つひとつの品に秘められた物語を知ろうと思ったら、その向こうに控えている無数の扉を開けねばならず、それはやはり広大な未知の世界に通じているのでした。

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それは新幹線でIMTまで出かけなくても、私が今いる部屋にゴタゴタ置かれたモノたちだって同じことです。私はまだ彼らのことを本当には知りません。だからこそ、こんな「モノがたり」の文章を綴って、彼らの声を聞き取ろうとしているのだ…とも言えます。

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ヴンダーカンマーが「目を驚かす」ことにとどまってるうちは、まだまだヴンダー白帯で、その後に控えている「学知の山脈」に足を踏み入れてこそ、ヴンダーの妙味は味わえるのだ…と、「ワクワクが薄れたなあ」などと、生意気な感想を一瞬でも抱いた自分に対する自戒を込めて、ここに記したいと思います。

[驚異の部屋]
[古玩随想]

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