七夕雑感
2022-07-03


ここしばらくは狂気を発するぐらい暑い日が続き、ものを考えることも難しかったですが、今日は久しぶりの雨で、少し過ごしやすくなりました。

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7月になったので、七夕の話題です。
七夕というと、「笹の葉 さーらさら」の歌が口をついて出ますが、ネットで検索すればすぐ分かるように、あれは「たなばたさま」というタイトルの曲で、昭和16年(1941)に文部省が発行した「うたのほん 下」が初出だそうです。いわゆる文部省唱歌ですね。

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(「うたのほん 下」に掲載の「たなばたさま」。国会図書館デジタルコレクションより。

今ではあの歌のない七夕は考えられませんが、考えてみると、江戸時代はもちろん、明治や大正時代の子供も、昭和戦前の子供だって、「笹の葉さーらさら」と歌わずに、七夕の夜を過ごしていたわけで、なんだか不思議な気がします。まあそれを言えば、昔のひな祭りに「あかりをつけましょ ぼんぼりに」の歌は流れていなかったし(初出は昭和11年/1936)、正月を前に「もういーくつ寝ると」と歌うこともありませんでした(同 明治34年/1901)。

でも、「あの歌が流れないなんて、昔の年中行事はさぞさみしかったろうなあ…」と思うのは、後世の人間の錯覚で、事態はたぶん逆でしょう。「たなばたさま」の歌は、地方的差異の大きかった民俗行事に公教育が介入・介在することで、その均質化が進んだ――言い換えれば貧弱になった――例のひとつだと思います。(あの歌自体は嫌いじゃありませんが、「笹の葉と短冊」だけに光を当てて、他の七夕習俗の要素、たとえば梶の葉とか、縫織の技とか、管弦とか、農作物のお供えとかを捨象したことは、やっぱり貧弱化につながったと思います。)

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上で公教育の介入による行事の変質ということを言いましたが、私が以前から疑問に思っていることのひとつに、「七夕で短冊に願い事を書く風習はいつ始まったのか?」というのがあります。

もちろん、昔の人も七夕の宵は星に願いを託しました。
しかし、戦前まで短冊に書きつける文句といえば「天の川」と「七夕」の2つがポピュラーで、それに加えて古歌や古詩、あるいは自作の和歌を書いて、それによって歌道や書道の上達を願うという形が本来だったはずです。そのことは江戸期の風俗画でも確認できます。

今や全国津々浦々で、笹竹に子どもたちの、それこそありとあらゆる願い事が翻っていますが、あれは多分そんなに古いことではなくて、戦後になって保育園や幼稚園、小学校で始まったことだと睨んでいます。(さらにさかのぼると、大正自由教育の流れの中で、一部の進歩的な学校や園では、すでにそういう試みがあったのではないか…とも想像しています。)

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[和骨董・日本と東アジア世界]

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