その活動の実態は、この会誌を読んでも明瞭ではありませんが、いくつかヒントはあります。まず目次に続く巻頭の「屡々〔しばしば〕用ひらる術語の解説」にはこうあります。
「天文学には種々の術語があります。解ってゐないと本を読んだり、研究会で話を聞いたりする際に困りますから、新会員諸子の為に屡々用ひられる術語を解説することにしました。一年生諸君にも解る様に出来るだけ平易に、簡単に書くやうに努めたので、或る所は幾分厳密を欠いて居るかも知れません。その点はどうぞ御寛恕下さい。尚、不明のことは、上級生の人にでも質問願ひます。」
この号は5月に出たので、新入部員向けなのでしょうが、筆者の堀内政吉君はだいぶ先輩風を吹かせていますね。あんまり上から目線で物を言うと嫌われるのは、昭和のはじめも変わらなかったでしょうが、とにもかくにも先輩が後輩を熱心に教え導く雰囲気の中で、この同好会は営まれていたのでしょう。
そして、当時の天文少年は「研究会で話を聞」く機会があったことも分かります。校内で行われる仲間内の研究会もあったでしょうし、更に上級の学校に在籍する天文ファンとの交流や、大正9年(1920)に創設された全国組織である天文同好会(現・東亜天文学会)の支部活動に触れる機会なんかもあったかもしれません。
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同じく堀内君による「新遊星の発見」。
これはこの会誌が出る直前、1930年2月に発見された冥王星の紹介記事です。もっともこの5月の時点では、まだ英名のPlutoも、和名の冥王星も定まってなかったので、その命名の帰結に堀内君も興味津々です。
堀内君は、天王星を発見したハーシェルに触れ、海王星発見の立役者たち(ブヴァール、アダムズ、ルヴェリエ、ガレ)を紹介し、最後に「五月号の科学智識・科学画報に、東京天文台の神田茂氏・小川清彦氏が新遊星に関する文を寄せて居られますから、ぜひ御一読あらん事を希望致します。」と一文を結んでいます。堀内君の知識の源が分かる気がします。当時の天文少年にとって、ビジュアルな科学雑誌は貴重な情報源であり、必読書だったのでしょう。
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盛岡中には天文趣味のイコン、天体望遠鏡があったのかどうか?
『改訂版 日本アマチュア天文史』(恒星社厚生閣)には、射場保昭氏が1936年現在でまとめた全国の望遠鏡所在リストから、学校所有の機材を抽出した表が載っています。
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