学校幻灯会…1955日本
2022-02-06


少し前まで幻灯の話をしていて、そこで書き洩らしたことがあるので、この機会に書いておきます。それは戦後、1950年代の小・中学校で、幻灯がどのように受容・活用されていたかについてです。

これまでも再々引用してきた、1955年に発行された学校教材カタログ(『日本教育用品総覧1956年版』、教育通信社)に、ここで再び登場してもらいます。

先に述べたように、天文分野では1960年代になってもガラスの幻灯スライドが現役でしたが、初等教育の現場は、だいぶ様相が違いました。

以下は上記カタログ掲載のスライド映写機の数々。いずれもすでに「幻灯機」というよりは、「スライドプロジェクター」というカタカナ語がふさわしい面構えになっています。

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高いのも安いのもありますが、注目すべきはそのスライドサイズで、だいたい35mmシングル、ダブル、2インチ角がデフォルト。さらに6×6サイズが映写できるものもありました。

注釈しておくと、35mmは今でも流通している銀塩写真の標準フィルムサイズ。フィルムの幅が35mmで、そこに24×36mmの横長の画像が写し込まれます。

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ただし、昔はこの半分の画面サイズで、倍の枚数の写真が撮れるカメラも大層人気がありました。フィルム代の節約になったからです。通常の「フルサイズ」に対して「ハーフサイズ」カメラと言いますが、上でいう「シングル」と「ダブル」は、このハーフサイズとフルサイズのことでしょう。これらは長いロールフィルムのまま、巻き上げながら映写しました。

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(フルサイズとハーフサイズ)

そして、「2インチ角」というのは、フィルムのサイズではなしに、35mmスライドを挟み込んだ「マウント」のサイズを言います。スライドを整理するには、ロールフィルムよりも、1枚ずつ裁断して、金属や紙(後にはプラスチック)のマウントに挟んだほうが便利で、そのマウントの標準サイズが2インチ(5cm)角でした。これは私自身も親しく経験していて、私がイメージするスライドはまさにこれです。

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(1980年代に出たとおぼしい彗星に関するスライドセット。サイズは2インチ=5cm角)


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[写真・幻燈・スライド]

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