天文スライド略史
2022-01-11


天文スライドはどのように発展し、どのように受容されてきたのか?その時代的特徴は?―― 天文スライドを愛好する人ならば、そうしたことを知りたく思うでしょう。
まあ、詳細を語ればキリのない話だと思いますが、そのあらましを要領よくまとめた論文を見つけたので、参考に載せておきます。

禺画像]

■Mark Butterworth(著)
 Astronomical lantern slides.
 The new magic lantern journal, vol. 10, no. 4 (Autumn 2008), pp.65-68.

著者のバターワース氏については、1954年〜2014年という生没年と、2003年に王立天文学会に入会されたこと以外は未詳です。
全体でわずか4ページの論文ですが、17世紀のホイヘンスから説き起こして、19世紀の幻灯黄金期を中心に、天文学と幻灯スライドのかかわりを説いて、興味津々。

内容はそれぞれにご覧いただくとして、ここでは昨日の記事と関連して、天文スライドの終末期を説いた末尾の部分だけ適当訳しておきます。なお、文中に出てくる「スライド」というのは、フィルム・スライドではなくて、あくまでもガラス製の幻灯スライドのことです。

(以下、〔 〕は訳注。冒頭1字下げは原文の改段落、それ以外は引用者による。)

   ★

 19世紀の終わりには、天文・科学機器のメーカーは、同時に天文スライドを手がけるようになっていた。また世界の多くの主要天文台、特に米国のヤーキスとウィルソン山天文台では、自台で撮影された著名な写真に基づくスライドの頒布を始めていた。ロンドンでは、王立天文学会(RAS)がスライド制作を手がけ、講演や授業で用いるため、会員の多くがそれを購入した。1930年代に入ると、アマチュア団体である英国天文協会(BAA)までもがスライド頒布を行うようになり、それを会員向けに貸し出すライブラリーを設立した。RASとBAAは、今でも自前の参考図書館内にスライドのコレクションを所蔵している。

 ただし、幻灯とスライド自体は、それ以前から衰退しつつあり、1920年代には、天文スライドはもっぱら学術機関内部で使用されるか、天文諸学会が利用するために制作されるものとなっていた。後期のスライドセットは、見る者に一定レベルの予備知識があることを前提としているものが多かった。

スライド制作を手掛ける会社は、ついには1、2社にまで減少した。英国で1930年代ないし1940年代初頭まで、最後の天文スライドを作り続けた会社がニュートン社(Newton & Co.)で、同社も第2次世界大戦が終結すると、結局商売を畳んでしまった。

大学と天文台は、教育目的で自前のスライドを1950年代を通して制作し続けたが、その多くは本の挿絵を撮影して作られたものだ。筆者は1970年代初頭に、セント・アンドルーズ大学で聴講した天文学の講義を思い出す。それはひどく無惨な白黒スライドを使って行われた(筆者が幻灯に興味を抱くようになるずっと前のことである)。


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