日本の星座早見盤史に関するメモ(5)…渡辺教具「お椀型」通史
2020-05-30


(本日は2連投です)

こうして、焼け野原の時代から力強く復興を遂げた「戦後早見盤史」を綴ろうというのですが、ただ、何度も言うように、その実態は資料が乏しくてよく分からないです。それにこの時代の早見盤は、基本的に私の守備範囲外なので、肝心の「モノ」が手元にありません。

ただ、分からないことだらけの中でも、ぜひ明らかにしておかないといけないことがあります。それは、三省堂と並ぶ星座早見盤の老舗、渡辺教具の星座早見盤がいつ登場したかです。中でも、今も続くあの偉大な工夫、「お椀型」の登場は<いつ>、<どのようなきっかけで>生まれたのか?

星座早見盤の保守本流は何と言っても三省堂であり、渡辺教具です。
両社の星座早見盤の各バージョンを並べるだけでも、日本星座早見盤史の太い幹は描き出されることになります。

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「渡辺教具製作所」は、ウィキペディアにも掲載されています【LINK】。

そこには同社が1937年に創業したことが書かれており、同項に記された会社年表には、「1960年 星座早見盤、小型プラネタリウム発売」とあります。これは、同社の「会社概要/プロフィール」LINK】の情報を、そのまま転記したのだと思いますが、これに関して、ちょっと気になっていることがあります。

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これまでも何度か過去記事で言及しましたが、手元に昭和30年(1955)発行の学校教材カタログがあります。

■文部省管理局教育用品室(監修)
 『日本教育用品総覧1956年版 上巻』(教育通信社、1955)

下の画像はそのp.171の一部。

禺画像]

ここには、3種の星座早見が取り上げられており、その最上位に位置するのが「経緯線入20cm(渡辺式)/¥180」で、これぞ渡辺教具製ではないかと思うのですが、どうでしょうか? 仮にそうだとすれば、渡辺教具の早見盤は、1960年を待たず、この時点で既に教育現場にしっかり根を下ろしていたことになります。しかし、これがお椀型なのかどうか、肝心の点がはっきりしません(カタログ中、写真に写っているのは「金属製盤径17cm/¥80」の中位製品です)。

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[星座早見]

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