中世がやってきた(3)
2018-04-29


(今日は2連投です)

尚古趣味とか、好古家というのは、古代ローマ時代から存在したそうですが、特に「中世」という時代に注目が集まり、もてはやされた時期があります。それは、18世紀後半から19世紀にかけてのことです。

図式的に言えば、前代のグレコ・ローマンに範をとった<古典主義>に対抗するものとして、中世を称揚する<ロマン主義>が勃興するのと軌を一にする現象で、一口にロマン主義と言っても、その実態は国によって様々でしょうが、現象面でとらえれば、中世趣味が最も先鋭的に表現されたのは、イギリスだったようです。それは産業革命の進展と、とめどない社会の世俗化に対する精神的反動でもあったのでしょう。

その動きはジョージ王朝末期に、まずはゴシック・リヴァイバルという「擬古建築」の形で幕を開け、続くヴィクトリア朝を通じて、文化のあらゆる側面に波及し、絵画ではラファエル前派を、そして工芸分野ではウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を生み出しました。中世の写本蒐集熱が高まったのもこの時期です。

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そうした中で、古い中世ガラスやルネサンス・ガラスを求める人も現れました。
たとえば、サー・ウィリアム・ジャーニンガム(Sir William Jerningham、1736−1809)という人がいます(以下、引用はヴァージニア・チエッフォ・ラガン著、『世界ステンドグラス文化図鑑』、東洋書林、2005より。改行は引用者)。

 「彼は自宅のテューダー様式マナー・ハウスの近くにゴシック・リヴァイヴァルの礼拝堂を造り、その窓に嵌めこむ中世ガラスの収集を始めた。〔…〕パネルの少なからぬものがジョン・クリストファ・ハンプを通して購入されたらしい。

ハンプはノリッジの毛織物商人で低地地方のアントウェルペン、ブリュージュ、フランスのパリ、アミアン、ルーアン、ドイツのケルン、アーヘン、ニュールンベルクを訪れた。ハンプはナポレオン征服後の世俗化時代に、解散した修道院から大量の中世ガラスを入手し、イギリスのかなりの教会へ売った。

〔…〕84パネルを数えるジャーニンガム・グラスは、サー・ウィリアムの死亡した年、1809年までに完全に設置されたようである。」(上掲書 pp.171-172)

当時、高まる中世熱に応えて、古いガラス片をヨーロッパから買い集めて、大英帝国で売りさばく専門の商人までいたようです。その顧客は、由緒付けを求める教会であったり(イギリスの教会は16世紀の宗教改革と国内動乱によって、かなり荒廃した時期があります)、広大なマナーハウスを抱えた新興貴族だったり、様々でした。

それがどんな風に使われたかは、ヨークの聖マイケル教会(現在はレストランに改装されています)の内部を見ると、およそ想像がつきます(以下、画像出典は

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