タルホ的なるもの…ステッドラーの鉛筆(1)
2016-05-05



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タルホ的なモノとして、まず鉛筆を眺めます。
ちょっとクダクダしいですが、今日はそのための前置きから入ります。

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今さらですが、稲垣足穂という人は相当変わった人です。

例えば、彼には「僕の“ユリーカ”」という作品があって、筑摩版の全集だと85ページほどの中編になりますが、その内容は、ガリレオやケプラーをはじめとする天文学の略史と、20世紀に発展を遂げた最新の宇宙論概説から成ります。

「第一部 ド・ジッター宇宙模型」や、「第二部 ハッブル=ヒューメーソン速度距離関係」といった章題を見ると、果たしてこれが本当に文学作品なのか怪しまれますが、初出は、昭和31年(1956)の『作家』(=名古屋を本拠とする文芸同人誌)ですから、これはたしかに文学作品として構想されたものです。

その根底には、天文学者や、物理学者や、数学者らの営みと、その学問的成果は、それ自体が美しい詩であり、時としてそれ以上のものなのだ…とする、足穂の感性があります。

 「天文学者はどこか芸術家と共通しています。二十世紀最大の数学者とも云われているヒルベルトは、ある時、人から「彼はどうして数学者にならずに、詩人になってしまったのでしょうか」と訊(たず)ねられて、「たぶん数学者になるには想像力が欠けていたのでしょう」と答えたといいます。」 (p.10-11. 頁数は「筑摩版全集・第五巻」による。以下同じ)

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そして、これが文学作品である確かな証拠として、難解な題材を扱う中にも、さかんに個人的回想がはさまっている点が挙げられます(作品タイトルに「僕の…」が冠されているゆえんです)。

その中には、「いかにもタルホ的」と思える品、おそらく稲垣足穂以外に、それを文学の叙述対象として認識できなかったろうと思える品が登場します。それが、今回のテーマである鉛筆であり、その鉛筆に小さな横顔を見せている三日月です。

 「一八二二年七月十二日は満月の夜になりました。この夜半のことです。東経二十度北緯四十八度と云えば、これは、年輩の人には学校時代に記憶がある筈の、あのナイフで削ると甘い香りのする赤い脆(もろ)い粉が零れる「コピエル・ロオト」でお馴染の、J・S・ステッドレル鉛筆会社の所在地です。月じるし鉛筆の広告画にあるような、湖水を囲んだ山々が、水面もろともに銀めっきになっていた刻限だったのでしょう。ミュンヘンの天文家グルイトウィゼンは、折しも子午線上に差しかかったまんまるな銀盤に望遠鏡を差し向けて〔…〕」 (p.31)

これは、グルイトウィゼンという人が、月面に城塞のような新地形を発見したことを叙すくだりで、ここにステッドラー社が登場する必然性は、まったくないのですが、突如彼の連想はそこに飛びます。


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