原子を感じた日
2016-04-11


今、私が坐っている机の左手には幅広の本棚があります。

それぞれの棚には、本以外のものもゴチャゴチャ置かれていて、この前の薬匙以来、それを順番に記事にしているわけですが、左の棚が終ったら右の棚、机の下、後ろの棚、物入れ、押入れ…というふうに順番に「棚卸し」をしたら、ずいぶん気分がスッキリするだろうと思います。

平成になって28年、世紀が替わってからでも16年。
この間に増えたモノは、相応の量になっていて、それはその時々の自分の興味関心を物語るものですから、いわばちょっとした「モノで綴る自分史」です(ずいぶんかさばる自分史ですね)。

ゴチャゴチャの棚は、ゴチャゴチャした頭と心の反映のようにも見え、記事にすることでその素性来歴を整理したら、少しは頭の中も風通しが良くなるのではないか…という期待があります。

本当は買った順に時系列で並べると、文字通り自分史っぽくなるのですが、もはやその辺は分からないことが多くて、「ずいぶん昔」とか、「数年前」とか、「わりと最近」ぐらいの区別がボンヤリつくぐらいです。

   ★

今日のモノは「ずいぶん昔」に属します。絶対年代でいうと、平成の初めごろ。

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これは何だといえば、ただの金属の球と立方体です。
素材は、銅、アルミ、鉛、ステンレス、真鍮。
銅・アルミ・鉛は言うまでもなく単一の金属であり、ステンレスは鉄にクロムを、そして真鍮は銅に亜鉛を混ぜた合金です。

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これらは東急ハンズの「素材」コーナーに置かれていたもので、もともと何か決まった用途があるわけでもないのでしょう。

私も最初は、単なるオブジェのつもりで手にしたと思います。
でも、かわるがわる手に載せているうちに、ふと「同じ大きさなのに、ずいぶん重さが違うなあ」と思いました。そして「ああ、そうか」と思いました。別に空気が混ぜ込んであるわけでもなく、ギュッと詰まった金属なのに重さが違うのは、原子そのものの違いを手が感じ取っているのだと。

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(鉛は自重で変形しています)

昔の科学者も、質量を有力な手掛かりに、物質の振る舞いの背後にある「世界の真実」を探求しましたが、このささいな経験によって、そのことが理屈抜きに直覚されたのでした。(もちろん原子量の話とかは、学校で教わったはずですが、それまであまり身になっていなかったのでしょう。)

こうした経験が下地になって、後に元素コレクションへの興味が派生するのですが、それはまた別のところで話題にします。

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