「あの天にある星か? とおっしゃるのでございましょう」と相手は指で天井を指した。
「おうたがいはもっともでございます。手前どもにいたしましても、最初はふに落ちかねたものでございますが、いまもってお客様同様うたがっていると申し上げてもよいのでございます。
ここまで滔々と弁じてきた店員ですが、ここに来て急に弱気な発言に転じています。
けれども何しろ、あの窓に出ている絵ビラですが、あそこに示されているのと同じ手続きによって採集され、その事実なることはエジプト政府も夙(つと)に承認していると申しますから、星だということを信じないわけには、まいりかねるのでございます。
こういうふうに文のトーンが弱まるのは、足穂が私小説的リアリズムに接近したときの‘癖’で、この前後の店員とのやりとりは、ほぼ史実をそのままなぞっています。
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歴史的事実として、足穂が初めて「星店」を訪問したのは、大正12年(1923)夏のことです。「星店」が当時オープン直後だったのは、作中に書かれているとおりで、その後、「星店」がいつまで営業を続けたかは不明ですが、少なくとも昭和6年(1931)まで店が存続していたことは、他の史料から確認できます。
そして、「なんだか女性めく、若い、色の白い男」と書かれた、この優男の店員。
彼の名は、魚田和三郎(うおたわさぶろう、1899〜?)。
魚田は神戸商業学校の卒業生で、足穂とは妙にウマが合ったらしく、一時さかんに手紙のやりとりを重ねたことが、足穂の年譜に書かれています。
昭和以降、魚田はドイツ人商店主から「星店」の切り盛りをすべて任され、その実質的経営者といってよいぐらいでしたが、彼がエジプトに「星」を発注した際の状袋が残されています。
当時、「星」を仲介していたのは、アレキサンドリアに住むHaig Garinianという男でした。
赤・青・紫の三ツ星マークは、「星店」の商標。
それにしても、この異常に几帳面な字はどうでしょう。
まさに「星店」の店員のイメージそのままではありませんか。
「星を売る店」のラストを知っている者にとっては、この富士山の切手も、何やら意味ありげに見えます。
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