「星を売る店」の神戸(6)…トアホテル
2015-06-16


「私」はトアホテル前の角を折れて、トアロード沿いに坂を下ります。

<異人館の町>と<旧居留地>、すなわち様々な外国商人の私的空間と公的空間を結び、彼らの生活を支えたトアロードは、ハイカラ神戸の背骨を為す道でした。それは同時に「山」と「海」を結ぶ道でもあり、そのアップ・アンド・ダウンの感覚が、行き交う人の心をいっそう浮き立たせたと想像します。

「星を売る店」の中で、トアロードはこんな描写になっています。

 理髪館や、花屋や、教会や、小ホテルや、浮世絵と詩集を出した店や、女帽子店やが両がわにならんで、下方から玉子色のハドスンがリズミカルな音を立てて登ってくる。商館帰りのアルパカ服がやってくる。白い麻服にでっぷりした〓(からだ)をつつんで、上等の葉巻の香を残してゆくヘルメットの老紳士があり、水兵服の片手をつり上げて他方の手でスカートをからげてせっせと帰途を急ぐ奥さんもある。チューインガムを噛みながら、映画の話をして行きすぎる半ズボンの連れもあり、青い布を頭に巻いたインド人もその中にまじっている。

こんな情景は、実に当時の神戸でしか見られないものだったでしょう。

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(灯ともし頃のトアロード。出典:『TOR ROAD STYLE BOOK―cosmopolitan street 神戸トアロード・ハイカラ散歩案内 1868-1999』、神戸新聞総合出版センター、1999)

そして、ここでトアロードの名前の由来となった、トアホテルを見過ごすわけにはいきません。「星を売る店」では、ずいぶんあっさりした描写になっていますが、ここは何と言っても、かの星造りの達人、魔術師シクハード氏が逗留していた宿です。

シクハード氏は、ある夜トアホテルで催された舞踏会において、人々の衣装やワイシャツやハンカチに、知らぬ間にハートやクラブの星模様を織り出すという驚異の技を披露しましたが、そのとき同時に、ホテル中のトランプが白紙になっていた…と言われます。

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(明治44年(1911)10月23日の消印が押された、トアホテルの絵葉書。アメリカ人旅行者が、ウィスコンシン州の知人(恋人?)に宛てたもの)

明治41年(1908)に完成した、このお伽の城のような建物は、海辺に立つオリエンタルホテルと並んで「モダン神戸」の象徴であり、足穂が神戸を回想するとき、もっとも愛情をこめて語った対象でもあります。彼は、仮に自分の文学碑を建てるならこの場所に…とまで言いました。昭和25年(1950)、惜しくも火災で焼失。

   ★

ところで、足穂はトアホテルの中に足を踏み入れたことがあったのでしょうか?
彼がその内部を実見したという話は、ついぞ聞かないので、きっと外から覗き見るだけだったのでしょう。そして、今となっては、どんなに望んでも、その中に入ることはできません。でも、かつてその空間に身を置いたモノならば、簡単に手に入ります。

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