2015-04-08
草場が「時の人」となった後、彼自身も忘れていた妹が訪ねて来て、30年ぶりに再会を果たすエピソードが、文中に出てきます。これを文字通り取れば、草場は4〜5歳のとき、里子に出されたらしく思えます。(生母はつい昨年まで存命しており、「兄さんのことを思っては、よく遇いたい遇いたいといっていました」と妹に告げられ、草場は涙をとどめ得なかった…とは、まことに哀切な話。)
草場は軍務以外にも、「自動車学校へはいったり、飛行機の機関士を志したり、汽船にも乗ったり」と、なかなか多彩な、しかもアクティブなキャリアを誇りますが、正規の教育を受ける機会は、ついになかった模様です。
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草場について語る時、聴力障害のことは落とせぬエピソードです。彼は生まれついての聾ではなく、中途失聴者でした。
「幼時二階から落ちて耳をわるくし」、その後「烈しい頭痛や眩暈に屡々(しばしば)襲われるようになったが、東京の下宿にいた頃、或朝起きて見るといつもの電車の音が聞こえない。『今日はどうして電車が通らないんだ、ストライキでも始まったか』と床の中から聞いても誰も何ともいわない。起出して見ると何のこと!電車はいつものように前の通りを走っている。」
おそらくは進行性の感音難聴だったのでしょう。
こうして彼は完全に聴力を失いました。
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彼は小学校をおえると、職を転々としながら、己の才覚一つで世に出ようともがいていました。しかし、音を失ったことで深く絶望し、ついには浮浪生活に身を落としてしまった…というのが、草場の20代半ばまでの人生だったと想像します。
「それから職に離れた悲惨な放浪生活が始まった。栃木県から新潟県、静岡県から愛知県あたりを、当てもなく幾度かぐるぐる廻って歩いた。或時は四ヶ月間一粒の米も味わなかったこともあり、或時は死を決してその場所を探したこともあり、寝るベッドに払う金がなくて大空の下に毎晩寝たこともある。」
こうして話は冒頭の場面に戻ります。
その彼と星との出会いは、果たしてどんなものだったか?
「一体彼は小さい時から星が好きであった。〔…〕それが孤独放浪の生活に入ってからは一層星に親しくなって、夜になると隙がな空を仰ぐようになった。〔…〕彼自身の言葉を借れば『星を見なければ淋しくていられなくなった』のであった。」
彼は放浪生活の中でもすさみきってしまわず、のちに天文学の独学を実際始めたわけですから、これは文学的潤色というよりも、相当程度事実でしょう。
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