コメント(全4件)
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S.U ― 2014-12-20 20:03
人に歴史あり、天文古玩に前史あり、ですね。
人間の知識欲あるいは思考法の転機が本との出会いによってもたらされる、というのはうなずけます。私の場合もそういう本がいくつかあることは識別できますが、なぜその時にその本を手に取ったのかということはよくわからない場合が多いです。
玉青 ― 2014-12-21 15:48
>なぜその時にその本を手に取ったのかということはよくわからない
発達心理学だと、よくレディネス(準備体制)というのを問題にしますね。
早期教育の重要性をやかましく言う人もいますが、基本的にそれを受け入れるレディネスがないと、いくら周囲が熱心に教え込んでも、小さい器から水があふれるように、さっぱり入って行かない。逆にレディネスが整っていれば、スッと頭に入る。要は、発達には段階があり、それを無視して詰め込むことはできないということです。
これは子ども相手の話ですが、大人にもやっぱりレディネスはあるらしく、いわゆる機熟というやつですね。ですから、たまたま機が熟していた時に、自分の精神状態にフィットする本を手に取ると、そこに運命的な出会いを感じたりしますが、実はそれ以前にも、似たような情報には何度も接していたのに、単に記憶に残らなかっただけ…なのかもしれません。
まあ、これは後付けの説明で、証明するのは「運命」の存在を証明するのと同じぐらい難しいでしょうから、ここは素直に運命の存在を認めたほうがいいかもしれませんね。(^J^)
少なくとも、ある種の出来事に「運命」を読み込む傾性が人にはある…というのは確かなようです。
S.U ― 2014-12-21 18:46
>レディネス(準備体制)
ある程度年齢が進んでから(たとえば高校生以上)出会った本については、それ以前に似たような本との出会いを何回か拒絶しつつ準備が進んでいった、という自覚症状が確かにあります。遂に機が熟したというのは事実でしょうね。でも、とてもすばらしいタイミングで最良の本に出会えたという気がするのはやはり運命なのか、ラッキーの記憶だけが残っているのか・・・ おそらく不発弾も多くばらまかれたままと思いますが、それもこれもひっくるめて運命なのでしょうか。
私は科学の早期教育には懐疑的で、レディネスができていないときにヘタに触れたがために、あとは一生涯不発になる可能性を高めることもあるのではないかと思います。科学は最初の「ふしぎ、驚き」が大事で、「なんか難しそう」とか「だいたいわかったからよしとしよう」という状況は大敵です。
玉青 ― 2014-12-22 23:01
この場合、いつかドカンと破裂してほしい不発弾ですね。(^J^)
まあ、大抵は埋もれたままのことが多いですが、ときに不時の爆発がなくもないのが面白いところで、それもやっぱり機熟の作用なんでしょうか。
>科学の早期教育には懐疑的
科学に限らず、あらゆる学習がそうかもしれませんね。背伸びをしたい子には、上手に背伸びをさせてあげることも大事なのでしょうが、そうでない子の手をむりやり引っ張っても、反作用で縮こまろうとするだけで、得るところは少ないようです。何事も、相手の「機根」を察するというのが、教育の要諦かと思います。
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