コメント(全10件)
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ZAM20 ― 2013-08-18 10:01
記事を紹介して頂き有難うございます。
理科系と工学系が子供のころから分離した存在なのかは分かりませんが、朝永振一郎のエッセイの中にも、子供と工作をする話なんぞもあるので、オーバーラップするところも大きいのではないかと思います。
プログラミングに熱中する子供達も確かに存在するとは思いますが、割合から言うとかつての工作や実験をする子供よりは少ないような気がしています。というのは、小物工作で、それなりに楽しめる物が出来るスキルに比べると、プログラミングで、それなりの物が出来るようになるまでの最初のハードルはかなり高く、そこを乗り越えるのは決して容易な事ではないからです。ラジオなどのアナログ回路にしても、ゲルマニウムラジオなら小学校でハンダごてを握れれば作れ、それで音が聞こえるわけですが、プログラミングには、それに相当するような最初の一歩に当たる物が存在する気がしません。
かつての工作少年達は、うまく出来たもの以上に失敗を積み重ねていて、失敗を通してや、それをリカバーする過程で色々なノウハウを身につけていたと思います。だいぶ前に、高校の先生と話した時に「失敗をさせたいのだけれど、その余裕がない」ということを嘆かれていましたが、今の世の中、便利さに囲まれて子供達が自らノウハウを蓄積する機会が非常に貴重なものになっている気がしています。
玉青 ― 2013-08-18 19:36
〇S.Uさま
日本の現状と課題も、大きいと云えばずいぶん大きい話題ですが、それについてはいずれまた。心地よくのびのびしたところで、まずは語り納めとしましょう。
…と思いましたが、ZAM20さんからのコメントもありましたし、また思われる所がありましたら、どうぞコメントをお願いします。
〇ZAM20さま
いつも楽しませていただいています。今回はちゃっかり記事を引用させていただき、恐縮です(笑)。
今回の件は、我ながら印象でものを語ってしまい、実状が分かっていない気がしたので、改めて「小学生 電子工作」その他、あれこれのキーワードで検索して、最近の工作事情を眺めてみました。
すると、案に相違して、あちこちで親子教室が開かれたり、いろいろ入門キットが売られていたり、なかなか活況を呈しているように見えました。ゲルマラジオとか、お風呂満水ブザーとか、オーソドックスな品も健闘していて、はんだ付けのコツなどもしっかり教えてくれるようです。ネットのおかげで、昔より情報も得られやすくなったし、結構なことだと思いました。
しかし、それでも何となく閉塞感が漂うのはなぜだろう?と考えました。
本来、子どもはエネルギーの塊で、ほっといても子供たち自身が動いて、大人の目をかすめて知識や技術を我が物とするぐらいの勢いがほしいのですが、お仕着せの企画を見ていると、どうも弱々しい苗木を枯らさぬよう、水やりや肥料に周囲が細心の注意を払っているような印象を受けてしまいます。
まあ、これは子ども自身の罪ではなくて、子どもの数が減っていることが根本原因としてあるのでしょう。社会の先細り感をどうにかしようと、大人の側も必死ですから、「失敗をさせたいのだけれど、その余裕がない」という先生の嘆きは、世間一般に共通するものという気がします。
(すみません、コメントのご趣旨とずれてしまったかもしれません。)
S.U ― 2013-08-19 06:30
>ほっといても子供たち自身が動いて
まったく同感です。そして、かつて自力で電気回路を組み立てていたような子ども達(と同じような意欲を持っている今の子ども達)は、ソフトウェアに移っていると言って間違いないと思います。でも、かつての電気工作熱中組と今のソフトウェア熱中組を絶対人数で比べるとぐっと減っているでしょうね。
ご引用のZAM20様のページを拝見しました。ご指摘になっている「『子供の目がきらきらする』だけの科学教室」の限界については、私も感じるところがあります。たぶん、玉青さんのこのご指摘とも重なるものだと思います。こういう科学教室は、友だちや家族みんなで科学に親しむという意味はありますが、自力で切り開いていく、失敗を体験するくということには助けになっているかどうか疑問で、ひょっとしたら手助けのし過ぎで追究の腰を折ってしまってマイナスになっている可能性すらあると思います。そのリスクのぶんだけ、科学が好きな高校生、大学生で自力で追究し失敗できるだけの時間を与えてあげてほしいと思います。これが高校の先生だけではどうにもならないのであれば、もっと広い社会の単位で考えなければならないことだと思います。
話を発散させてしまいすみませんでした。話を収束させるには、社会全般に広げて科学の普及の影響を論じたいと思いますが、これはまた次の機会にさせてください。
玉青 ― 2013-08-19 21:14
なかなか根の深い問題ですね。
そも教育とは何ぞやという、あまりにも本質的な問題もありますし、教育に伴うリスクを社会と個人がどう引き受けるべきか、「リスクゼロ」を目指すことで派生するリスク等、いろいろ考えるべき点は多そうです。
ぜひ渦中の子供や若者自身にも参加してもらって、大いに論じたいものですが、とりあえず他日を期しましょう。
S.U ― 2013-08-20 06:29
>そも教育とは何ぞや
確かに、ことばの定義やめざすところの違いの問題もありますね。
私たちが語っているのは、(学問として系統立った)「教育」とはちょっと違う、(そこへの道を示してゆく)「普及」なのではないかと思います。
両者の違いがどれほどあるのかは自明ではないでしょうから、他日を期すことにしましょう。
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