(昨日の記事に出てきた、シャトー・ドワロンの展示風景。↑はバハマ生まれの作家、Ian Hamilton Finlay による、写真・シルクスクリーン・バラの植え込み・養蜂巣箱から成るインスタレーション作品。この城館で追求されているのは、理科室趣味とは異なる「驚異の部屋」らしい。)
昨日のダイオンの発言から、1990年代に世界のあちこちでヴンダーカンマーの再評価が、おもにアートの文脈でなされはじめたこと、東大に拠った西野氏の試みは、極東の孤独な営みではなく、こうした世界的な動きの中に位置づけられるべきことが見えてきました。
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ダイオンの言葉をさらに続けます。
「僕は1990年代の初期から、ルネッサンス期のコレクション、つまり驚異の部屋(Cabinet of Curiosities)をなぞることに心を奪われ、知識を可視化した領域としての博物学の歴史を調べ出したんだ。そして、世界の構造に関する理論として、ヴンダーカンマーのロジックが持ついろいろな側面を取り入れた作品を作り始めた。たとえば、ソンスベーク’93〔註:オランダ・アルンヘムで行われた美術展〕の出品作とか、あるいは「Scala Naturae(存在の階梯)」と題した、アリストテレスの宇宙論や階層的な分類学を、立体作品の形でパロディ化することを狙ったものとか。」 (前掲書p.31)
(Mark Dion, "Scala Naturae," 1994.
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