続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(6)
2013-05-01


ヴンダーカンマーについて、例によってS.Uさんとコメント欄でやりとりしていて、いろいろ気づいたことがあります。(言うまでもないことですが、どなたも議論には自由にご参加ください。当ブログのコメント欄は、井戸端や縁側、ちょっと洒落て言えば古代ギリシャのアゴラ(自由討論の広場)のようなものでありたいと思っていますので。)

その中で思い出したいちばん大切なこと。
それは、私にとってのヴンダーカンマーは昔の理科室に似た場所であり、だからこそ私はそれが好きなのでした。これを忘れちゃいけない。

昔の人にとって、ヴンダーカンマーは文字通り「驚異の部屋」でしたが、子供の頃の私にとっての理科室も、まさに驚異に満ちた部屋でした。人々がヴンダーカンマーに惹かれるのは、実は驚異に満ちた子供時代―その象徴が「理科室」であるかどうかはさておき―を追体験したいという、強烈な願望があるせいではないでしょうか。

禺画像]
(戦前の理科室の標本陳列用戸棚。理科室とヴンダーカンマーの距離は驚くほど近い。堂東傳(著)、『小学校に於ける理科設備の実際』、昭和3より)

   ★

これは私の一人合点かとも思いましたが、東大総合博物館の公式サイトを改めて見たら、果たして次のように書いてあるではありませんか。([URL]

 「大航海時代の西欧諸国においては、Wunderkammer(驚異の部屋)と呼ばれる珍品陳列室が王侯貴族や学者たちによって競ってつくられたことが知られています。人は誰しも生まれたばかりのときには、目に見えるもの、手に触れるもの、「世界」を構成するありとあらゆるものが「驚異」であったはずです。このような「もの」をめぐる原初的な「驚異」の感覚は、体系的な知の体得へ先立つものであるとともに、新たな知の獲得へと人々を駆り立てる潜在的な原動力ともなっているものです。」
(「驚異の部屋展」の展示概要より)

人類の精神史をさかのぼり、冷たいハードサイエンスが支配する現代から、素朴な驚異に満ち溢れていた熱い時代に立ち返ること、それは自己の精神史の歩みをさかのぼることにもつながるのでしょう。


続きを読む

[理科室]
[博物館]
[驚異の部屋]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット