続・東大発ヴンダーの過去・現在・未来…西野嘉章氏の軌跡をたどる(5)
2013-04-28


この連載もだんだん泥沼に入って苦しくなってきました。

私の場合、たいていそうですが、今回も「書いているうちに何とかなるだろう」と思い、書く対象について、ろくすっぽ知らぬまま書き始めました。で、実際どうにかなればいいのですが、今のところあまり結論が見えません。特にマーク・ダイオンの話になると、いっそう私には理解の及ばぬところが出てきます。

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何がそんなに分かりにくいのか。
私には正直のところ、当時の西野氏の思考の流れがよく分からないのです。
西野氏はダイオンの「ミクロコスモグラフィア」展の意義を、展覧会図録の中でこう書いています。

「集類にせよ分類にせよ、近世に至ってからの学問はそのシステマティクスへの参入を拒むモノすなわち、中世にあってあれほど生き生きとその存在感を放っていた欄外物(marginalia)をしだいに許容しなくなった。事実、時代が推移するなかで知識や技術の分化に弾みがつき、古くから大学とともに学術の母胎となった博物館もまた、自然、歴史、民族、美術など、そのコレクションを特化させる方向へ流れていった。〔…〕そのため、博物館は世界全体を包摂する「器」として機能しづらくなり、コレクション形成に不可欠な想像力も眼に見えて衰退してきている。(図録p.19)

「もし、この欠落を補い得る者がいるとすれば、それは美術家なのではなかろうか。サイエンスは論理的であること、実証的であることを義務づけられており、人間の知的活動としていかにも不自由である。その点でアートの世界は自由である。」(同p.21)

私が分かりにくいと思う点はいくつかあるのですが、まず1点目は、上記のことを西野氏がどこまで本気で主張されているのかという点です。

「近代以降、還元主義的方法論が優勢となり、専門分野の細分化が進んだ。学問の対象も、その主体も、ともに切り刻まれて、今や世界全体が見えなくなってしまった。博物館もまた然り。そこで喪われたものがいかに大きいことか。そうした弊害を乗り越えて、もう一度森羅万象を見つめ、全宇宙に及ぶ想像力を取り戻そう。そのために、今こそヴンダーカンマーの復権を!!」

氏の文章を平たく言うと、こういうことだと思います。

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[博物館]
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