西野嘉章氏(1951−)。東京大学総合研究博物館々長。
元は美術史、特に中世の宗教美術を専攻されていた方です。
(研究室の西野氏。「BRUTUS」 2008年8月1日号より)
西洋は知らず、日本におけるヴンダーカンマー・ブーム (まあ、ブームとまでは言えないにしろ、それをもてはやす一種の文化的ムーブメント)を考えるとき、その淵源は、澁澤龍彦の綺想エッセイや、1980年代に巻き起こった博物学ブームあたりに求められるでしょうが、それをさらに決定付けたのが、90年代に入って西野氏が仕掛けた各種のイベントだったと思います。
現在、各地の大学が古い学術資料(標本やら剥製やら)を学校の隅っこから引っ張り出してきて、博物館の体裁を整えていますが、そもそも、そうしたゴミのような資料(西野氏言うところの学術廃棄物)が、「陳列するに値するもの」であり、それどころか博物館の主役にもなり得るものだと知らしめたのは、ひとえに西野氏の功績ではありますまいか。
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西野氏は1994年に弘前大から東大に転じ、当初から大学に残された学術標本の評価と、その対外的な発信方法に腐心されてきました(…と勝手に断じていますが、私は西野氏にお会いしたことはないので、以下はすべて傍から見ての想像です)。
当時はまだ東大総合研究博物館はなくて、前身の東大総合研究資料館の時代(博物館のオープンは1996年)。もちろん、資料館時代にも展覧会は行われていましたが、ファインアートとの接点はありませんでしたし、「魅せる展示」にも気を配っていなかったと思います。そして最も欠けていたのが博物学的好奇心。
西野氏が東大に赴任した翌年、雑誌「芸術新潮」の1995年11月号は、「東京大学のコレクションは凄いぞ!」という特集を組み、その煽り文句は 「えっ、これは何?こんなものまで… 日本の最高学府・東大に眠っていた、希少かつ珍奇な「学術資料」たち」 というものでした。この特集自体、西野氏が仕掛けたメディア戦略の一環だろうと、私は睨んでいますが、ともあれ現在のインターメディアテクに通じる路線、言うなれば「アーティスティックなヴンダー路線」は、この時期に定まったと言えるのではないでしょうか。
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