足穂は「銀河鉄道の夜」を一読するなり、それを映像化したいと思いました。それもフルカラー作品で。
「草下自身もそのことを主張していた。彼の手紙から引用して、私が彼の意見に異議をもっていない証拠にしたい―
まず最初にカムパネルラ少年が溺れる場面は、その川下の地平線上に白鳥座が大きく落ちかかっているように仕組むべきで、川遊びの小舟から落ちて魚になり、ついで天上の星と化した酔李白の場合のように、押し流されて行く友だちを追うて、ジョバンニ少年はいつのまにやら銀河の中へ泳ぎ入ってしまう…深味を帯びた濃藍のバックには一面に星がきらめき、天ノ河は五彩の光の流れで、そのあいだを縫って、透明単色の「銀河列車」が駛って行く…。
私は子供の頃、ジュール=ヴュルヌの挿絵に見た「コロンビアット」即ち、星間をポッポッと煙を吐いて進んでいる車輪のない移民列車を、思い合わさないでおられなかった。」
禺画像](月へ向かう砲弾列車。ヴェルヌの『地球から月へ(月世界旅行)』英語版表紙。
ウィキペディアより)
足穂はどういうつもりで草下氏の文章をそのまま引いたのか?
足穂はものぐさから他人の文章を借りるような人ではないはずなので、これはよほど草下氏の文章が彼の心に響いたのでしょう。足穂も釈明の必要を感じたのか、草下氏と自分の感じ方が近いことをしきりに強調しています。
「渋谷のプラネタリウムについて、草下は云った。「内側の星ぞらよりも外側の真白いドームの方がよっぽど宇宙的に見える」と。彼はマラルメの朗吟家であり、又、宮沢賢治の随所に出てくるカエル、魚、小鳥、虫の奇妙な発音を自ら真似るのが実にうまい。只「深淵」からの語り手、ホウキ星の啼声をそこに差し加えないのが、いささか残念なくらいのものである。草下はいまアメリカの宇宙基地を大いそぎで見て廻っている。帰途にはカリフォルニアの大天文台をたずねるつもりだ。天文学着たちは昼間は寝ているそうです、と先日の手紙に書いてよこした。」
そして足穂はこの一文を次のように締めくくっています。
「「俺はひとりの修羅なのだ」これもよいが、私は何よりも「銀河鉄道の夜」を推す者である。これはひょっとして、サン=テグジュペリの「星の王子様」よりも文学的かも知れない。その次は「風の又三郎」である。「雨ニモマケズ」なんて云うしみったれた愚痴は、私は買わない。」
★
足穂は、賢治と「銀河鉄道の夜」を高く評価していました。
ひょっとしたら、「これは自分が書くべき作品だった」とすら思ったかもしれません。
足穂はこの「銀河鉄道頌」を公にした直後、絵画展の開催を持ちかけられます。それは翌1971年に「イナガキタルホ・ピクチュア展」と題して、大阪、京都、東京を巡回しましたが、この絵画展のために、足穂は新作パステル画を10枚ほど描いています。
その中の1枚が「「不可能」への出発」という作品です。
(「不可能」への出発/出典:『稲垣足穂の世界―タルホスコープ』(平凡社))
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