石田五郎氏の『天文屋渡世』。
この本は昭和63年(1988)、筑摩から出ました。昭和20年代から60年代まで、石田氏があちこちの新聞・雑誌に書いたものを集めた文集です。
この本を再読して、改めて「へええ」と思ったことがいくつかあります。それらはいずれも野尻抱影に関することで、星そのものよりは、いくぶん人事寄りの話題です。
(1)『星恋』はかつて稀書であった。
抱影と山口誓子の句文集『星恋』は、今では古書検索サイトにいけばいつでも買うことができます。しかし、この本はかつて「幻の書」と呼ばれたらしいです。
「久しく幻の書といわれていた抱影・誓子の珠玉集『星恋』がこのほど復刊された。星座研究の野尻抱影と俳句の山口誓子とが星に対する思いのたけを競い合うように文字にしたもので、初版は昭和二十一年六月、鎌倉書房の刊行、用紙も造本も敗戦直後の粗末なものであったが、星好きの人々には希望となぐさめとを与えるこよなき贈り物となった。再版は昭和二十九年、中央公論社の新書版で、あまり世に騒がれずに姿を消した。両者とも古書展などで目にとまる機会はほとんどない。このたび『定本・星恋』として深夜叢書社から復刊されたのは慶賀にたえない。」(p.35)
そうと知ってみれば、本棚の隅に立っているこの本が、いっそう有難いものに見えますし、同時にネット時代になって、一部の古書が値崩れを起こしている理由もよく分かる気がします。
(2)石田氏と抱影とは3度しか会ったことがない。
初代と二世の「天文屋」である両者は、生前深い親交を結んだことは間違いありません。しかし、直接会ったことは生涯に3度しかないと聞いて、ちょっと驚きました。
上記『星恋』の誓子と抱影にいたっては、一度も顔を会わせぬまま、この名著を上梓したそうですが、星つながりというのは、なかなか常識では律しきれぬものがあります。
「星の大家の抱影先生にはじめて会ったのは昭和三十二年三月、東京渋谷の駅前に新築なった五島プラネタリウムの開館レセプションの折であった。大勢の人込みの中で科学博物館の村山定男氏から紹介され、おそるおそる名乗りをあげると、
「石田君テ、もう少しやせた人かと思った」これが私のきいた端正な老先生の第一声であった。当時、私が朝日新聞にかきつづけていたコラム「星の歳時記」の文章には目を通しておられるようで、二、三の感想をのべられた。
その後間もなく、日本放送のラジオの対談の相手にとよび出された。また私自身のプラネタリウムでの講演の時に出会い、生前お目にかかったのはこの三度きりである。やがて私は岡山県の山奥の観測所に赴任し、以後ハガキの文通がはじまり、昭和五十二年に亡くなられるまでに三百通を超えるハガキが岡山に届いている。」
(pp.198-99)
(3)抱影は足穂の小説を読みとおしたことがない。
足穂は抱影のまことに純なファンで、戦後、草下英明氏の引き合わせで一度だけ顔を合わせた際も、含羞からまともにやりとりできなかったといいます。抱影は抱影で、足穂のことを「高踏派」と呼んで、手に余るものを感じたらしいですが、その後日談として、石田氏は抱影の次のような私信を紹介しています。
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