以前よりもずっとよく見えました。
それから日周運動で動く天体に合わせて星を追尾する赤道儀を
使いました。北極星のほうをめがけて垂直に立てて、誘導の望遠鏡を
ちょっとずらして、大変な思いをしながら、市販のカメラで月や土星の
写真を撮ったりしました。
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時代を考えると、かなり本格的な天文少年ですね。「月日が経って」というのは、以下の記事によれば、高校生のときに反射式望遠鏡を入手したことを指すようです。
この間、昭和36年(1961)には、ガガーリンが初有人宇宙飛行。同年、アメリカがアポロ計画を発表。さらに昭和38年(1963)には、初の女性宇宙飛行士、テレシコワが登場しています。国内では本田実・関勉両氏による彗星発見の報が続き、昭和35年には岡山天体物理観測所が、昭和37年には埼玉の堂平観測所が開所し、本格的な大型望遠鏡時代がやってきました。
(昭和39=1964年の「天文と気象」誌。特集は「夏休み天体観測と天体写真術」。)
荒事の家に生まれた団十郎ですが、当時はごく内省的な傾向を持つ少年だったように思われます。その生活環境が大きく変わったのは、昭和40年(1965)に、父である十一代目の団十郎を亡くしてからで、彼は人間としても役者としても大いに苦労したらしいですが、その間も宇宙への関心を失わなかったのは、あっぱれな天文趣味人だったと言うべきでしょう。
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以下に「東京人」の記事から、彼の言葉をいくつか書き抜いておきます。
「荒事」という形態の演技にも、仏教的な宇宙観があります。六方(ろっぽう)は、東西南北、天地の方向を指し、それぞれの方向の宇宙の果てまで鳴り響く、堂々とした歩き方です。ほかにも見得や、陰陽という光と影の世界を体で表そうという宇宙観があります。生物独特の吸う・吐くという「息」などの要素を基軸にしています。
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私は外の宇宙はもちろんですが、この人体の中の宇宙にも関心があるんです。キリスト教はどちらかというと、外、次の世界へという一方通行のように思いますが、外の宇宙、中の宇宙、輪廻など、荒事の舞台をつとめる土台として考えています。
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歌舞伎で「無から有を生じ、有から無を生じる」という台詞があるんですが、理論的に言ったらおかしいですが、もしかしたら宇宙は、無から有が生じて、有から無が生じる世界であるとも考えられる。
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この先、月でも惑星でも水があるとわかったなら、そこで生活できる可能性はぐんと高まるわけですから、宇宙への大航海時代ですよ。そして将来、歌舞伎が存在しえたならば、日本にこういう文化があることを宇宙でも紹介したいし、やってみたいなと思います。
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私にとって宇宙は、美しさを感じさせるものです。科学の法則、踊りや人間の動作にしても、美しいものには真理があると思います。
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(人間の身体の構成物質が星の中で作られたという話を受けて)
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